(4) 青山墓地内

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 竹田輝雄氏による報告があって、長頸壼形土器の好資料が発見されたことが知られ、前述の『港区史』にも掲載されている。わずかに口縁部を失っているものの、ほぼ全形を窺い得る珍しい資料である。ただ、この発見は昭和三十三年(一九五八)に属し、現時点で詳細を明らかにできないのが遺憾である。
 以上略述したように、港区内における弥生文化の遺跡は、わずかに四例にすぎず、住居や集落のあり方などでも十分な編年的研究の手がかりが得られず、学術的にもきわめて不本意な状態にある。この点については、ここで詳述するいとまがないけれども、文京・北・練馬・目黒・大田の各区など海岸線から相当離れている地域では、この港区よりも遺跡・遺物の密度が比較的に濃く、調査・研究のうえで有利であるように思われる。
 これに反して港区内では、遺跡が比較的に少なかったといえるのではなかろうか。その理由としては、前に述べたところと重複する嫌いはあるが、土地が少ないうえに海と接近しているので、水田開発に不利であったこと、それに加えて台地上に残された遺跡の多くが都市化の波にさらわれて、ほとんど破壊し尽されたという悪条件をあわせ考えれば、十分納得されるというべきである。このような推定は縄文文化の遺跡についても同断で、われわれの知り得た多くの事例が、単なる遺物の発見という段階にとどまり十分な調査を行なうこともできないままに終わっている。しかも、こんにちでは正確な地点も明らかにし得ないことさえ少なくない。都市化現象の見舞う場所では、どこでも経験されることではあるが、まったく残念なことといわざるを得ない。