(四) 式内薭田神社

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 『延喜式』(神祇)の「神名帳」に記載され、官社に列せられたいわゆる「式内社」は、武蔵国内に、足立郡氷川神社など四十四座あり、荏原郡には、薭田(ひえだ)神社と磐井(いわい)神社がみえる。
【薭田神社】 薭田神社については、『延喜式』に先立つ貞観六年(八六四)八月(『三代実録』)条に、
 
  武蔵国従五位下蒲田神、並列官社
 
とあり、同一社と考えられている。この記事からすると、薭田神社は『江戸名所図会』などにいう蒲田八幡宮(大田区蒲田)にあてるのが適当とも考えられる。しかし、『御府内備考続編』に収められた御田八幡神社(三田三丁目)の社伝も、また強く薭田神社の後裔を主張している。
【御田八幡神社所伝】 それによると、御田八幡神社は、和銅二年(七〇九)創祀、初め枚岡(伝白金三田)に鎮座、寛弘年中(一〇〇四~一二)に久保三田に、そして徳川氏入国後に現在地に遷座したという。また、慶応元年(一八六五)に神祇官により薭田神社とされ、明治五年に三田八幡と改称して郷社となり、さらに明治三十年に御田八幡の古称にもどっている。
 荏原郡地域には、右の二社以外にも薭田神社の社伝をもつ神社は多く、竹長稲荷神社(長坂町、現在十番稲荷に合祀、『御府内備考続編』)などがあげられる。
【磐井神社】 磐井神社については、同じく貞観元年(八五九)十月(『三代実録』)条に、
 
  武蔵国従五位下磐井神、列於官社
 
とあり、鈴森八幡宮(大田区大森北)を後裔とみる説が強い(『江戸名所図会』など)。しかし、いずれにしても、これらはすべて近世以降の所伝であり、それ以前に遡る確固たるものではない。