(二) 『延喜式』にみる武蔵国の物産

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【租 稲・調】 延長五年(九二七)成立の『延喜式』の「主税式」に、武蔵国の租稲は、正税四〇万束に公廨(くげ)稲・雑稲を合わせて計一一一万束余(現在の二万二千石余)である。また、調進の品目のうちには、紫草三二〇〇斤(内蔵寮式)・紅花・茜(主計式)などがあり、武蔵野の自然と産物が知られる。なかでも紫草は、常陸国に次ぐ量であり、『更級日記』の「むらさき生ふと聞く野」という一節を裏付ける。さらに、嘉応元年(一一六九)の『武蔵国税所注進状』断簡(『平安遺文』補二四一号)にも、久良郡の紫・茜・小葛布がみえ、注目されよう。
【牧(まき)】 東国である武蔵国に、馬を忘れてはなるまい。「兵部式」の諸国の牧(まき)には、桧前(ひのくま)牧・神埼(かんざき)牛牧が、「左馬寮式」の皇室の御牧には、石川・小川・由比・立野牧があり、年貢御馬五〇疋(諸牧三〇疋、立野牧二〇疋)および飼馬十疋が献納されている。他に、『政事要略』などには、秩父・小野牧がみえ、これらのなかでは桧前牧と神埼牛牧が、現在の二三区内にあったともいわれる(『古牧考』)が、確かなことはいいがたい。
【正倉院調庸布墨書銘】 『延喜式』以外に、古代の武蔵国の物産を知る史料に、正倉院調庸布墨書銘(『寧楽遺文』下)や近時発掘の進む平城宮跡出土の木簡(『平城宮木簡』一・二)がある。武蔵国関係では、前者に天平から天平勝宝年間の調・庸布・絁など、後者には天平年間の大贄の鮒背割・豉(くき)(納豆の類)などがみえる。しかし、現在のところ港区地域に関係する荏原郡については皆無であり、将来の発見が期待される。