(二) 『今昔物語』にみえる武蔵国と港区

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 平安時代のおわりごろにできた説話集に『今昔物語集』がある。これは、日本、中国、インドの三国の古今の説話を集めたもので、必ずしも史実そのものを集録したものではない。しかし、中国(震旦)とインド(天竺)の部分と比べると、日本(本朝)のそれはいちがいに伝説的なこと、荒唐無稽なことばかりではない。かなりの事実を伝えているものと考えられるので、十分な史料批判を加えたうえでの利用が必要である。今昔物語集にみえる話には典拠があるものが多く、作者の創作ばかりではない。
【源宛と平良文】 『今昔』の「巻廿五」に次のような話がみうけられる。
 東国に源宛と平良文という二人の兵(つわもの)がいた。源宛はまた箕田の源二ともいわれ、良文はまた村岡の五郎とよばれた。この二人は仲が悪く、戦いをくり返していたが、そのうちに仲直りするに至ったという話である。
 この二人のいたところは、ただ東国とのみ書かれ、明らかでないが、武蔵国と関係の深いこと、さらには港区ともつながりのあることがうかがわれる。
 源宛=箕田源二は、嵯峨天皇四世の孫といわれ(『尊卑分脈第三巻』一四頁)、従五位下武蔵守源任の子であった。父の任がいつごろ武蔵守であったかはっきりしないが、恐らくその任国の武蔵に子の宛=源二も同行して、若い時代をすごしたのではあるまいか。
【渡辺綱】 宛の子に綱がおり、源頼光の家臣として世に知られ、四天王の一人に数えられた。この綱の生地が区内の三田あたりといわれ、綱坂、綱町の地名や、あるいはオーストラリア大使館内に、その産湯の井戸といわれるものが残されている。これらはいずれも後世の付会になるもので信をおき難いが、古代末の武士と港区との関係を示す説話の一つである。これにたいし渡辺綱の説話を武蔵国足立郡箕田の地(埼玉県鴻巣市)に求める考え方もある。