(二) 区内に残る鎌倉時代の伝承

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【桜田神社】 源頼朝は麻布の桜田神社へ三十貫文と神領としての田五七〇石を寄進したということが『江戸往古図説』にみえるが、貫文と石とで別々に記載していることをあわせみると、どうも信を措き難い伝承である。また、頼朝は建久四年(一一九三)に千三百貫余の土地を芝の神明宮へ寄進したという伝承もある。
【芝神明宮】 源義仲の家臣の一人に今井四郎兼平がある。その居城跡といわれるものが区内に存し、江戸時代の後半に成った『文政町方書上(かきあげ)』によると当時の今井町(現在の虎ノ門あたりから溜池、西久保、六本木付近に及んだらしい)がその場所であるとするが、この詳細も不明である。
 頼朝の家臣であった熊谷次郎直実の城跡といわれるものが、『江戸砂子』にみえ、西久保城山町より麻布市兵衛町あたりまでの高台がそれであるといわれる。
 これらの伝承はいずれも、それを証明するに足る記録、文書、史跡などを欠き定かでない。恐らくは、長年の間にほかの伝承と入りまじって誇張あるいは付会されたものであろう。