御掃除町の場合

187 ~ 188 / 1465ページ
【御掃除町】 西丸小十人の「板倉弥作以下御掃除之者三〇人」の大縄地(一括拝領地)である。そもそも、家康の関東入国に三河より従った板倉弥作の先祖弥次兵衛が青山大膳亮上地内に組屋敷地を拝領し、その地続きに形成された町屋で、元禄九年(一六九六)に町家作の改めがあったさいに古来よりの町屋があったことで以後も正式に町並・家作が認められるようになったものである。青山地域では他に若松町(御小人目付・御留守居同心・小普請・御広敷伊賀あわせて六人の拝領町屋)」、「久保町(伊賀衆)」、「原宿町(伊賀衆)」が同様の例であり、赤坂地域でも「新町一、二、三、四丁目」が御天守番之頭、小十人、御勘定、小普請、評定所書役、御細工所同心等々の拝領町屋敷となっている。