表11 明暦3年 岡山藩城下・諸郡献上金品
(「池田光政日記」による。)
邑久郡 銀子 10件 564枚 船賃(600石積) 1隻 樽(2半5升 ) 20 塩 2件 200俵 材木(5寸角)7件 360本 | 岩生郡 瓦 50,000枚 畳床下地 |
上道郡 人足 150人 | |
町 方 銀子(釘代) 300枚 人足 2件 15,400人 銀 3件 160枚 | 赤 坂 畳床 300畳 |
備 中 畳表 300畳 | |
津高郡 莚 1,000枚 垂木 3,200本 縄 860束 | |
児嶋 人足 10,000人 | |
和気郡 船賃(400石積) 1隻 わら莚 4件 3,300枚 材木 7,000本 | |
上東郡 釘 2駄分 畳 20畳 日用米返上 |
表12は天明・寛政期における藩主在府中の津山藩(一〇万石)の江戸入費を示すものである(『体系日本史叢書16・生活史2』による)。平常年における年間六千両余の江戸経費の三三%が扶持方その他の人件費であり、次いで御進物方の入費が二〇%に近い高額となっている点が興味深い。この時期の主要な津山藩邸は、鍛冶橋内の上屋敷、本所三ツ目の下屋敷であり、港区地域では天和元年以前に麻布今井に中屋敷があった。
表12 津山藩江戸入費(天明・寛政期 在府年)
御進物方 | 1,116両 | % 18.1 | 庖丁代 | 1分2朱 | ― |
大納戸 | 259両 | 4.2 | 勤金 | 9両 | 0.1 |
紙納戸 | 78両 | 1.3 | 夏冬袴代 | 6両 | 0.1 |
荒物方 | 143両 | 2.3 | 中間等薬種料 | 17両 | 0.3 |
小買物方 | 83両 | 1.3 | 組中間月抱給料 | 30両 | 0.5 |
割物 | 157両 | 2.5 | 道中雑用馬銀 | 120両 | 1.9 |
御小納戸 | 84両 | 1.4 | 御薬種料 | 20両 | 0.3 |
御裡御女中 | 66両 | 1.1 | 家中諸流稽古道具代 | 3両2分 | 0.1 |
御作事 | 616両 | 10.0 | 御日記奉書筆墨代 | 1両 | ― |
御賄方 | 21両 | 0.3 | 高田辻番請負駈付請負 | 10両 | 0.2 |
与荷方 | 419両 | 6.8 | 王川上水出銀 | 9両2分 | 0.2 |
御扶持方 | 1,580両 | 25.6 | 御膳所不時入用 | 12両 | 0.2 |
塩吹代 | 4両 | 0.1 | その他 | 149両 | 2.4 |
月割御給金 | 11両 | 0.2 | 不時入用 | 64両 | 1.0 |
惣御給金 | 437両 | 7.1 | 御膳所仕切金 | 205両 | 3.3 |
夫給金 | 36両 | 0.6 | 御厩仕切金 | 285両 | 4.6 |
上下代 | 6両2分 | 0.1 | 御召物代仕切金 | 75両 | 1.2 |
御仕着代 | 2分 | ― | 辻番請負金 | 60両 | 1.0 |
筆墨代 | 10両 | 0.2 | 猿楽配頭金 | 10両 | 0.2 |
敷物代 | 2両 | ― | 計 | 6.180両 |
(注) 『体系日本史叢書16・生活史2』142ページによる。
越後新発田藩(五万石)の寛永十九年(一六四二)の記録によると(「案紙帳」『新発田市史資料第三巻』一六二ページ)江戸より国元に送付方の依頼のあった物資として、ろうそく四二〇〇丁、白米一〇駄分、油三駄分、漬わらび毎年の桶数、つけ竹のこ一桶、餅米二駄、小豆五斗、上々梅干一斗、黒大豆一斗、たいのこ五斗、さばのこ五斗、同せわた七斗、さしさば三〇〇さし、干鯛一〇〇枚。上々串蚫(あわび)五〇〇、そうめん七貫目が列挙され、とくに「そうめんさし鯖なとハ六月末ニ御老中可レ被レ遣候間出来不レ申候ハハ跡より成共可レ上候以上」という注記がある。どれほどの期間内に消費される予定のものか不明であるが、江戸における要路への進物を含めて、国元より藩邸へ大量の蠟そくおよび食品の輸送がなされようとしているわけである。新発田藩の主要な藩邸は、幸橋外に上屋敷、元矢の倉と本所三ツ目に下屋敷があった。江戸藩邸の維持経営がどのようにして行なわれていたかについて具体的に探りうる史料が乏しく、その実態はなかなか詳かにしえないが、国元をはじめ江戸府内外、そして全国に大量に需要を作り出していったことは疑いない。植崎九八郎はその一端を「右列国之大名并小名共に江戸御城下に勝手住居仕候に付、一々国元産物を用ひがたく或は諸工職手人をも難レ用、多分御当地町人より買上、諸工職人足等雇人仕、是准二諸事一、国元収納を以江戸表にて買上の儀故、自然と町家の利潤夥敷候、依レ之京大坂は不レ及レ申諸方より富有之町人江戸表へ入込売買仕候に随ひ、前代未聞の御大都会に相成」(「牋索雑収」『日本経済大典』第二〇)と指摘している。
諸藩の江戸における消費は藩財政の大きな部分を占めていた。表13(伊達研次「江戸に於ける諸侯の消費的生活について」『歴史学研究』四―四・六―五による)にみるように久留米藩をのぞいて諸藩の江戸支出は、いずれも藩財政の過半を占め、元禄~宝永期の庄内酒井藩にいたっては八〇%となっているのである。
表13 諸藩江戸経費(年額)
石 高 | 江戸経費 | 全支出に対 する割合 | 年 代 | |
庄内藩 長岡藩 松山藩 岸和田藩 加賀藩 新庄藩 土佐藩 久留米藩 津軽藩 秋田藩 | 14 万石 7.4 5 5.3 6.8 102.27 24.2 21 10 20.58 | 32,500両 35,800 14,000 6,660 12,047 100,000 82,233 39,413 40,000 20,000 | 80% 79 78 71 77 58 62 40 64 72 | 元禄15~宝永3年平均 元治元 嘉永3 安永5 安政元 延享4 天保年間 文化12 文化13 延享2 |
(注) 伊達研次「江戸に於ける諸侯の消費的生活について」(『歴史学研究』4-4,6-5)による。