(2) 江戸屋敷の経営

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【大名屋敷の需要】 諸藩の江戸屋敷は膨大な物資と労働力の需要を生み出していた。たとえば、明暦大火の折、岡山藩領下ではさっそく城下諸郡より表11のような金品献納の申し出があった(「池田光政日記」)。この時期の岡山藩邸は、大名小路に上屋敷(八、七三四坪)、向屋敷(六、三六七坪)、新屋敷(二、七八五坪)の三邸があった(『東京市史稿・市街編』第四九巻)。この申し出は、実際には受領されないこととなったが、おそらくはこれらの藩邸の被災に対処するものとして、全体のどれほどを賄うものになったのか不明であるけれども、江戸藩邸の巨大な需要の一端を示すものであろう。
 

表11 明暦3年 岡山藩城下・諸郡献上金品
(「池田光政日記」による。)

 邑久郡
銀子   10件  564枚
船賃(600石積)    1隻
樽(2半5升 )    20
塩     2件  200俵
材木(5寸角)7件  360本
 岩生郡
瓦       50,000枚
畳床下地
 上道郡
人足        150人
 町 方
銀子(釘代)    300枚
人足   2件 15,400人
銀    3件  160枚
 赤 坂
畳床        300畳
 備 中
畳表        300畳
 津高郡
莚       1,000枚
垂木      3,200本
縄        860束
 児嶋
人足      10,000人
 和気郡
船賃(400石積)     1隻
わら莚    4件 3,300枚
材木       7,000本
 上東郡
釘        2駄分
畳         20畳
日用米返上

 
 表12は天明・寛政期における藩主在府中の津山藩(一〇万石)の江戸入費を示すものである(『体系日本史叢書16・生活史2』による)。平常年における年間六千両余の江戸経費の三三%が扶持方その他の人件費であり、次いで御進物方の入費が二〇%に近い高額となっている点が興味深い。この時期の主要な津山藩邸は、鍛冶橋内の上屋敷、本所三ツ目の下屋敷であり、港区地域では天和元年以前に麻布今井に中屋敷があった。
 

表12 津山藩江戸入費(天明・寛政期 在府年)

御進物方1,116両%
18.1
庖丁代1分2朱
大納戸259両4.2勤金9両0.1
紙納戸78両1.3夏冬袴代6両0.1
荒物方143両2.3中間等薬種料17両0.3
小買物方83両1.3組中間月抱給料30両0.5
割物157両2.5道中雑用馬銀120両1.9
御小納戸84両1.4御薬種料20両0.3
御裡御女中66両1.1家中諸流稽古道具代3両2分0.1
御作事616両10.0御日記奉書筆墨代1両
御賄方21両0.3高田辻番請負駈付請負10両0.2
与荷方419両6.8王川上水出銀9両2分0.2
御扶持方1,580両25.6御膳所不時入用12両0.2
塩吹代4両0.1その他149両2.4
月割御給金11両0.2不時入用64両1.0
惣御給金437両7.1御膳所仕切金205両3.3
夫給金36両0.6御厩仕切金285両4.6
上下代6両2分0.1御召物代仕切金75両1.2
御仕着代2分辻番請負金60両1.0
筆墨代10両0.2猿楽配頭金10両0.2
敷物代2両6.180両

(注) 『体系日本史叢書16・生活史2』142ページによる。


 
 越後新発田藩(五万石)の寛永十九年(一六四二)の記録によると(「案紙帳」『新発田市史資料第三巻』一六二ページ)江戸より国元に送付方の依頼のあった物資として、ろうそく四二〇〇丁、白米一〇駄分、油三駄分、漬わらび毎年の桶数、つけ竹のこ一桶、餅米二駄、小豆五斗、上々梅干一斗、黒大豆一斗、たいのこ五斗、さばのこ五斗、同せわた七斗、さしさば三〇〇さし、干鯛一〇〇枚。上々串蚫(あわび)五〇〇、そうめん七貫目が列挙され、とくに「そうめんさし鯖なとハ六月末ニ御老中可遣候間出来不申候ハハ跡より成共可上候以上」という注記がある。どれほどの期間内に消費される予定のものか不明であるが、江戸における要路への進物を含めて、国元より藩邸へ大量の蠟そくおよび食品の輸送がなされようとしているわけである。新発田藩の主要な藩邸は、幸橋外に上屋敷、元矢の倉と本所三ツ目に下屋敷があった。江戸藩邸の維持経営がどのようにして行なわれていたかについて具体的に探りうる史料が乏しく、その実態はなかなか詳かにしえないが、国元をはじめ江戸府内外、そして全国に大量に需要を作り出していったことは疑いない。植崎九八郎はその一端を「右列国之大名并小名共に江戸御城下に勝手住居仕候に付、一々国元産物を用ひがたく或は諸工職手人をも難用、多分御当地町人より買上、諸工職人足等雇人仕、是准諸事、国元収納を以江戸表にて買上の儀故、自然と町家の利潤夥敷候、依之京大坂は不申諸方より富有之町人江戸表へ入込売買仕候に随ひ、前代未聞の御大都会に相成」(「牋索雑収」『日本経済大典』第二〇)と指摘している。
 諸藩の江戸における消費は藩財政の大きな部分を占めていた。表13(伊達研次「江戸に於ける諸侯の消費的生活について」『歴史学研究』四―四・六―五による)にみるように久留米藩をのぞいて諸藩の江戸支出は、いずれも藩財政の過半を占め、元禄~宝永期の庄内酒井藩にいたっては八〇%となっているのである。
 

表13 諸藩江戸経費(年額)

石 高江戸経費全支出に対
する割合
年   代
庄内藩
長岡藩
松山藩
岸和田藩
加賀藩
新庄藩
土佐藩
久留米藩
津軽藩
秋田藩
14 万石
7.4  
5   
5.3  
6.8  
102.27  
24.2  
21   
10   
20.58  
32,500両
35,800 
14,000 
6,660 
12,047 
100,000 
82,233 
39,413 
40,000 
20,000 
80%
79 
78 
71 
77 
58 
62 
40 
64 
72 
元禄15~宝永3年平均
元治元
嘉永3
安永5
安政元
延享4
天保年間
文化12
文化13
延享2

(注) 伊達研次「江戸に於ける諸侯の消費的生活について」(『歴史学研究』4-4,6-5)による。