江戸の住民構成

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 江戸時代は身分社会であったから、武士以外の町方居住者の町人にもさまざまな階層があって、その権利義務関係も一様ではなかった。
 江戸の町方居住者は土地・家屋の保有関係から、(1)家持(地主)、(2)家主(家守)、(3)地借、(4)店借に分けられていた。
【家持・家主】 家持は家屋敷を持ち、それを自宅、家作、借地に供する上層町人である。家主(家守)は家持の代理人であり、手当をもらってその土地・家屋の管理をした。町の主体は町屋敷にあったから、屋敷を所有する家持のみが厳密な意味での町人であり、家主はそれに準じる者として扱われる。町名主に代わって、あるいはその補佐役として月行事を行なうなど、町内の運営にかかわることのできるのは、この家持・家主階層だけであった。その代わり年貢としての地子や、地子免除の町内で公役・町役(町入用)を負担する義務を負ったのもかれらである。家持・家主層はふつう表通りに家を構えており、町屋敷の間口の間数が課役を負担するさいの基準になった。
【地借・店借】 地借・店借層は、独立の世帯を構えてはいても、共同体としての町の正式の構成員としてはみなされなかった。地子・町役などの課役を免れた代わりに、町政に参加する権利ももたなかった。地借は、表通りに土地を借りて、自己の家のみを保有する者で、経済的地位は店借より高かった。店借は、土地も家も持たない都市下層民の主体であった。公的にはすべて「おおやさん」たる家主をとおして支配される存在であった。
 このほか、独立の世帯を営むが一戸を構えない出居衆・同宿と呼ばれる部屋借人と、独立の家計をも営まない奉公人も多数存在していた。
 寛政三年(一七九一)に江戸の上層町人は、名主二六二名、地主一万八、八七六名、家守一万六、七二七名で合計三万五、八六五名を数える。当時の総戸数を仮に十二万とすると、これら上層町人の比率は約三〇%であり、殘り七〇%が地借・店借層などであったことになる。
【町の成立事情と住民構成】 『文政町方書上』から松本四郎がまとめた地域別住民構成を表18に示してある。同氏は、江戸全体を町の成立事情と住民構成との関連からみて、次のような傾向を指摘している。
 

表18 江戸市中の住民構成

地 域 名総戸数居住
戸数
地主・
家持
地主・
家守
地借店借明店備 考
外神田
浅 草
下 谷
根 津
谷 中
湯 嶋
本 郷
駒 込
巣 鴨
音 羽
高 田
牛 込
市ヶ谷
四 谷
鮫ヶ橋
麹 町
角 筈
赤 坂
青 山
渋 谷
麻 布
桜 田
飯 倉
西久保

伊皿子・二本榎
三 田
白 金
目 黒
高 輪
品川台町
品川寺社門前
深 川
本 所
南本所
北本所
小 梅
中の郷
柳 島
亀 戸
3,428
1,237
7,276
453
847
2,605
4,253
1,566
586
930
381
3,856
1,521
2,790
1,161
524
585
2,346
1,027
500
4,634
906
1,003
901
9,617
427
1,715
596
322
446
169
868
12,057
2,028
1,573
697
268
1,097
153
224
3,380
1,160
6,603
442
831
2,466
4,170
1,512
569
913
346
3,679
1,512
2,705
1,183
458
525
2,281
893
466
4,531
840
1,006
895
9,479
484
1,553
597
232
402
169
866
11,530
1,940
1,483
701
268
1,091
153
161
56
55
631
9
90
120
283
94
116
155
109
444
136
59
77
16
89
50
22
109
407
24
60
44
381
66
122
94
64
29
25
151
268
54
65
58
40
89
25
16
264
69
467
37
87
164
284
124
68
108
11
376
96
265
107
56
5
223
100
14
395
97
142
104
993
52
190
45
14
69
26
88
864
102
76
67
14
96
15
24
778
160
718
84
49
524
885
145
27
51
9
236
169
339
40
113
76
422
144
34
255
102
166
144
1,136
20
110
11
3
19
3
18
988
408
76
35
20
73
2
8
2,281
876
4,786
312
605
1,658
2,718
1,149
358
599
217
2,600
1,111
2,042
959
273
355
1,586
627
309
3,474
617
638
603
6,969
346
1,131
447
151
285
115
609
9,410
1,374
1,266
541
194
833
109
113
25


11




16


113
8
6
39
66
60
38
134


66


54




44


368
32
8


5

61
番屋1
7ヵ町分のみ
名主1








武家住居23





















時鐘役2
24町分のみ



番屋2

(注) (1) 松本四郎「都市域拡大の過程と民衆」『幕藩制国家解体過程の研究』より引用。
 (2) 家持家主は家持へ,地借家守は地借へ,地借店借は店借へ集計されている。


 
 第一に、(1)外神田・芝などの郭内に接している河岸沿いの町、(2)外神田~上野間、湯島~本郷間の街道沿いの町、(3)市ケ谷・桜田などの門前の町などでは、家持・地借層、とくに地借層が多い。町方書上には日本橋・京橋辺の古町について記載がないが、明治初期の資料に同様の特徴がみられる。これらは、いずれも商工業の盛んなところであった。
 第二に、家持・地借層が少なく、店借の比率が高いのは、(1)拝領町屋敷を含む町(とくに鮫河橋で著しい)、(2)寺社門前の町、(3)本所・深川などの計画的に造成された地域の町である。
 第三に、農村あるいは漁村が町並み化していった町では、家持が多いのと同時に、店借も多い。農民が都市化の過程で地主となって店貸しを始めたためであろう。