港区地域の住民構成

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港区地域各町の住民構成は、すでに表16に示しておいた。ここでは、各町を町方書上の区分に統合して、三六地区に分けて構成比率を示した表19から、港区地域の住民構成の特徴をみることにしよう。
 港区地域における各階層の構成比率は、家持五・五%、家主一〇・四%、地借一一・〇%、店借七三・〇%で、江戸市中諸地域のなかでも店借率が高いほうに属している、各地区の特徴は、次のとおりである。
 

表19 港区地域各地区の住民構成

地 区総戸数居住戸数構  成  比  率  (%)
家 持
家 主
地 借
店 借
白 金
西久保
三田(1)
三田(2)
三田(3)
飯倉(1)
飯倉(2)
青山(1)
青山(2)
青山(3)
赤坂(1)
赤坂(2)
赤坂(3)
麻布(1)
麻布(2)
麻布(3)
麻布(4)
麻布(5)
麻布(6)
麻布(7)
高 輪
芝 (1)
芝 (2)
芝 (3)
芝 (4)
芝 (5)
芝 (6)
芝 (7)
芝 (8)
芝 (9)
芝 (10)
芝 (11)
芝 (12)
芝 (13)
桜 田
芝伊皿子
・二本榎

合 計
五九七
八九五
一、〇二一
三四〇
一九三
七五八
二四六
二三一
一一五
六八一
九四七
六七二
七二〇
六〇〇
五一八
六四七
八七〇
四一一
七五六
七〇九
四四六
七五二
一、四九二
八四一
一、四七三
二一八
五四八
四六七
五四四
八六九
六九二
九八四
四〇七
三四六
九〇六
四八四


二三、三九六
五九七
八九五
一、〇二〇
三四〇
一九三
七五八
二四六
二〇九
一一五
五六九
九四七
六七二
六八二
六〇〇
五一八
六四七
八七〇
四一一
七五六
七〇九
四〇二
七五二
一、四三九
八四〇
一、四七三
二一八
五四八
四六七
五四四
八六九
六九二
九八四
四〇七
三四六
八四〇
四八四


二三、〇五九
一五・七五
四・九二
六・四七
一一・七六
八・二九
五・四一
七・七二


三・八七
一・八〇
四・九一

八・六七
七・五三
三・五五
九・八九
七・七九
一〇・三二
一〇・八六
七・二一
一・〇六
一・六七
二・三八
一・四三
六・四二
七・八五
一〇・七一
七・五四
三・九一
四・六二
四・九八
七・一三
四・六二
二・八六
一三・六四


五・五五
七・五四
一一・六二
一三・一四
九・七一
一一・九二
一五・五七
八・九四
一二・四四
一三・九一
一〇・一九
七・七一
一一・七六
一〇・四一
九・六七
一三・一三
七・一一
六・〇九
一五・三三
六・八八
七・七六
一七・一六
一一・五七
九・八七
八・四五
七・二六
九・六三
一〇・七七
一三・九二
一〇・一一
九・九〇
九・八三
一三・三一
一五・七二
一〇・六九
一一・五五
一〇・七四


一〇・四四
一・八四
一六・〇九
六・六七
八・二四
七・二五
一五・七〇
一九・一一
二五・三六
一八・二六
一二・三〇
一七・一一
二三・三六
一六・一三
五・一七
六・三七
一八・八六
三・五六
〇・二四
一・五九
三・五三
四・七三
二九・七九
二三・八四
一五・六〇
八・八九
二二・九四
五・八四
三・二一
一三・九七
一・三八
二・七五
四・一七
九・五八
六・六五
一二・一四
四・一三


一一・〇〇
七四・八七
六七・三七
七三・七三
七〇・二九
七五・五四
六三・三二
六四・二三
六二・二〇
六七・八三
七三・六四
七三・三九
五九・九七
七三・四六
七六・五〇
七二・九七
七〇・四八
八〇・四六
七六・六四
八一・二二
七七・八六
七〇・九〇
五七・五八
六四・六三
七三・六七
八二・四二
六一・〇一
七五・五五
七二・一六
六八・三八
八四・八一
八二・八〇
七七・五四
六七・五七
七八・〇三
七三・四五
七一・四九


七三・〇一

(注) (1) 「江戸市中の住民構成(文政十一年『町方書上』)」『三井文庫論叢』4号より作成。
 (2) 表16を地区ごとに集計したものである。


 
 まず、家持層の比率が高いのは、白金、伊皿子・二本榎、麻布、高輪、そして芝および三田の一部である。三田は飯倉・西久保に連なって往還に沿い、天正・慶長期からいちはやく町並み化していった地区である。三田のなかでも麻布に接する三田(2)地区ではとくに高い。麻布は大名屋敷の間に町屋が点在したところで、農村が町並み化した町、拝領地、寺社門前町が多く、全体的に家持層とともに店借層も多くなっている。そのような特徴は、南・北日ケ窪町・宮村町・善福寺門前辺(麻布(4))、麻布桜田町・三軒屋町辺(同(6))、本村町・永坂町・田嶋町辺(同(7))でとくに著しい。白金、伊皿子・二本榎も農村地域に町家が拡大していった地区である。
 次に、店借層が多いのは、白金、麻布、芝、桜田地域であり、三田(1)・(3)、青山(3)、赤坂(1)・(3)も店借率が高い。芝地区は広範囲にわたっているだけあって住民構成も複雑である。店借率が高いのは、芝片門前・中門前辺(芝(3))、浜松町・新網町辺(同(4))、金杉辺(同(6))、本芝辺(同(9))、田町辺(同(11))、車町辺(同(13))であろう。門前町のほか、金杉・本芝から田町・車町にかけては街道沿いに漁村や農村が町並み化していった地域である。金杉辺(芝(6)~(8))は、漁業関係者が多い町であるが、店借層とともに家持層も多く、芝のなかでも群を抜いて高い家持率を示している。なお、芝口(芝(1))から芝浜松町にいたる街道沿いと増上寺門前の町のほとんどは古町で芝口辺の大規模な河岸蔵や物揚場などの施設を利用するために商人が集中して、地借層が非常に多いのが目立っている(芝(1)~(3)と(5)の地借率は二二・六%)。
 芝のこの地区とともに、地借層が多いのは、西久保、飯倉、青山、赤坂であろう。飯倉と西久保は品川宿へ続く往還に沿う町であること、代地、拝領地が多いのが特徴になっている。青山でとくに地借率が高いのは、天和三年(一六八三)に代地を与えられて成立した御掃除町・御手大工町・御炉路町が含まれる青山(1)地区である。赤坂は、寛永期(一六二四~四三)に伝馬助成地として取り立てられた町々を中心に発展したが、地借層が多いのは赤坂田町辺(赤坂(2))である。
 港区地域は、江戸時代後半には店借層を中心とする庶民層が比較的多く集中していたといってよい。しかし、これまでみてきたように、町々あるいは各地区の住民構成は、それぞれの町の成立事情、機能、位置などによって一様ではなく、個性的な顔をもっていたことが明らかになったであろう。