表26 明治2年二十二番組各町の平均世帯規模
町 名 | 戸数 | 人口 | 平均世 帯規模 |
赤坂表伝馬町一丁目 同 二丁目 赤坂裏伝馬町一丁目 同 二丁目 同 三丁目 元赤坂町 赤坂一ッ木町 赤坂浄土寺門前 赤坂鈴降門前 赤坂新町一丁目 一ッ木町続 元赤坂町代地 赤坂新町二丁目 同 三丁目 赤坂新町四丁目 同 五丁目 赤坂田町一丁目 同 二丁目 同 三丁目 元赤坂町代地 赤坂田町四丁目 芝田町四丁目代地 赤坂田町五丁目 溜池端芝御霊屋掃除屋敷代地 溜池端芝永井町代地 溜池端芝青竜寺門前代地 | 116 81 189 130 85 133 113 14 2 101 92 106 126 95 112 52 39 49 10 51 15 96 13 12 15 | 542 302 644 457 300 432 521 41 11 396 377 368 492 296 392 193 196 229 51 203 77 338 51 62 73 | 4.67 3.73 3.41 3.52 3.53 3.25 4.61 2.93 5.50 3.92 4.10 3.47 3.90 3.12 3.50 3.71 5.03 4.67 5.10 3.98 5.13 3.52 3.92 5.17 4.87 |
(注) 『赤坂区史』による。
三一町全体の平均世帯規模は三・八〇人である。門前町など規模の小さい町では変動が大きいが、一三町(四二%)が三・五~四・〇人に、三・〇~四・五人までに五八%が集中している。人口一〇〇人以上で、四・五人以上の町は一ツ木町、表伝馬町、赤坂田町二丁目、同三丁目である。
幕末の神谷町、宮益町の平均世帯規模も、三~四人程度で赤坂地区三一町の平均値に近いが、世帯規模は町人の階層や職業によって異なり、また、住民構成を反映して地域差も大きいものである。表27には参考として明治二年佃島(現・中央区)・本石町二丁目(現・中央区)の例も掲載してあるが、平均世帯規模は地主を初めとする上層町人で大きく、店借で小さい。また、町外からの奉公人や来住者などの同居人が世帯規模を大きくしていることがわかる。店借層で平均世帯規模が小さいのは、職業や家族構成と密接な関連があるが、このことは次に触れることにしよう。
表27 各町の平均世帯規模
地 名 | 年 代 | 世帯数 | 人 口 | 平均世 帯規模 |
神 谷 町 | 天保15年 弘化3年 嘉永2年 | 21 18 25 | 71 75 77 | 3.38 4.17 3.08 |
宮 益 町 | 慶応3年 合計 家持 家守 地借 店借 不明 | 172 38 4 3 126 1 | 656 203 13 11 450 4 | 3.81 5.34 3.25 3.67 3.57 4.00 |
道玄坂町 | 慶応3年 | 36 | 147 | 4.08 |
東福寺門前 | 慶応3年 | 21 | 94 | 4.48 |
佃 島 | 明治2年 合計 地主 店借 その他 | 247 7 37 203 | 1,499 55 163 1,281 | 6.07 7.86 4.41 6.31 |
本石町二丁目 | 明治2年 合計 奉公人来住者を除く | 103 103 | 619 405 | 6.01 3.93 |
(注) 神谷町・宮益町・道玄坂町・東福寺門前の資料は,表22に同じ。佃島は中井信彦「明治二年戸籍からみた佃島の住民構成」『日本社会と近代化』,本石町二丁目は村田静子「明治二年本石町二丁目戸籍下書について」『日本歴史』218号より引用。