それによるとまず芝では、両替兼質屋・割槇屋・菓子屋(以上家持)、貸本屋兼薬種屋・割槇屋・柄巻屋(以上家主地借)、印判職・刻煙草商・柄巻屋・鼻紙袋商・煙草商・古道具商売・鉄職手間取・医者・肴売(3)・漁師(2)・日雇・駕籠かき・土持軽子・香具見世物手伝・道心者(以上店借)。
三田では、水菓子屋(店借)。
飯倉では、雑菓子問屋(家持)、菓子職手間取・印判職・鳶日雇・水菓子売(店借)。
白金では、両替屋(家持)、抱人足(店借)。
高輪では、鳶・抱人足(店借)。
麻布では、材木屋(家持)、炭薪商(家主地借)、反古袋拵(店借)。
赤坂では、紀伊家定飛脚(家持)、時の物売(家主地借)、鼻紙袋屋・鼻紙袋職・草花売(店借)。
青山では、紺屋職手間取(店借)というように三〇種ほどの職業が判明する。多数を占める店借層についてみると、印判職・鼻紙袋職・柄巻屋などの職人、鳶日雇・鉄職手間取・紺屋手間取・駕籠かき・土持軽子などの単純労働、水菓子売・草花売・肴売などの小商売が中心となっている。
【職業構成と階層】 表29は、宮益町と神谷町の職業構成を階層別に示したものである。家持層では荒物商売・舂米商売ほか諸商売に、多くが従事している。これにたいして店借層では、神谷町でも宮益町でも、日雇稼に三分の一以上が集まっていて、これに棒手振、洗濯稼、大工職などが加わって、肉体労働、小商売・行商、職人稼が生業の中心になっていた。
表29 神谷町・宮益町の職業構成
階 層 | 神 谷 町 | 宮 益 町 | ||
天保15年 | 弘化3年 | 嘉永2年 | 慶 応 3 年 | |
家 持 | 紺屋商売・足袋商売(2)・鉄物商売・ 荒物商売(3)・塩物商売・刻煙草商売 (2)・餅商売・飯商売(2)・水菓子商売 (2)・蕎商売・舂米商売(3)・糟商売・ 質物商売(2)・酒商売(2)・薬種商売・ 籠細工渡世・大工職・桶職・鍛冶職 ・棒職・石工・賃仕事・記載なし(5) (合計38) | |||
家 守 | 鉄物屋 | 鉄物屋 | 鉄物屋 | 籠細工渡世・大工職・仕立職・記載 なし (合計4) |
地 借 | 煮売酒屋 手掛屋 | 煮売酒屋 手掛屋 | 煮売酒屋 手掛屋 | 塩物商売・材木槇渡世・足袋職 (合計3) |
店 借 | 駕籠屋 日雇稼(7) 大工職 按摩 拵屋 箒屋 油売 陸尺 道心者 記載なし(3) | 駕籠屋 日雇稼(9) 大工職 按摩 陸尺 道心者 錺職 | 駕籠屋 日雇稼(8) 大工職 魚渡世 不明(1) 記載なし(10) | 古着商売・紙商売・小間物商売(3)・ 下駄商売・瀬戸物商売・乾物商売 (2)・塩物商売(2)・茶商売・刻煙草商 売・餅商売・飯商売・水菓子商売・ 鮨商売・青物商売・酒商売・水油渡 世・煮染渡世・篭細工渡世・塗師渡 世・豆腐渡世・湯屋(2)・大工職(6)・ 板屋根職(3)・畳職(2)・錺職・桶職 (2)・傘職(2)・銅職・面鍛冶職・餅 職・綿打・鳶(2)・髪結(3)・針治(2)・ 餅売・花売・肴売(2)・青物売(3)・時 物売・人足頭取・車力・杣・捧手振 (12)・日雇稼(42)・賃粉切・洗濯稼(7) (合計126) |
不 明 | 洗濯稼 (合計1) | |||
合 計 | 21 | 18 | 25 | 172 |
(注) 資料は表22に同じ。
明治初年の赤坂、青山一帯でも同様で、家持、地借層は質両替・舂米・呉服・材木・炭薪・薬種などの諸渡世に従事する者が多く、店借層では、日雇稼・賃仕事を核として、棒手振・時の物売、建築関係の諸職、武具職人、袋物職・傘職などの居職の職人が多かった(松本四郎「幕末・維新期における都市と階級闘争」『歴史学研究』一九七〇年一〇月)。
都市下層民の主体である店借の生業は、資本も多くは必要とせず。だれでも容易に始めることのできる仕事である反面、収入は不安定で低水準だったことがうかがわれる。このような人々は、飢饉・物価騰貴などの経済変動、コレラなどの伝染病、火災・水害などの影響を直接的に受ける弱い存在であった。
慶応二年(一八六六)五月に、品川宿から発生して、米屋・酒屋・質屋等の上層町人への襲撃となって次第に拡大し、江戸中心部へと波及した「江戸打ちこわし」の主体になったのも、店借を中心とする都市下層民であった。