港区には欧米諸国と日本との外交史上の遺跡が集中している。とくに港区内でも芝・麻布両地域に集中しているのは、(一)これらの地域が江戸の南端に位置し、海に面して外国人の上陸地点に近く、(二)しかもこのあたりに由緒ある大きな寺院が数多くあって、多人数の外国人の一団のために必要な設備を整えられたからである。
最初のアメリカ仮公使館となった旧麻布山元町の善福寺、同じくイギリス仮公使館にあてられた旧芝高輪の東禅寺、旧芝三田台町の済海寺、旧芝二丁目の西応寺、伊皿子の長応寺、旧麻布本村町の春桃院など、いずれも外交官の公館として使用され、芝増上寺、赤羽門付近と、高輪泉岳寺門前とには、外国人応接所が設けられたことがあった。寺院が選ばれたのはすでにハリスが下田に来た時からであったが、江戸では大きな施設といえば神社、仏閣、大名屋敷しかなく、神社では攘夷派の過激な浪人たちが横行していた時代、これをいたずらに刺激する懸念があり、また、生活の場としても外国人には、神社よりも寺院のほうがスペースの点からも便利であったと思われる。大名屋敷は攘夷の風潮が盛んな折から提供主がなかったことはいうまでもない。
以下、本節では港区内に残る主な外交史跡を紹介しつつ幕末史実と港区地域の関連をのべていこう。