春桃院を宿寺として使用したと考えられるプロシア外交官は、文久二年十一月(一八六二年十二月)神奈川領事として来朝したマックス・フォン・ブラントで、神奈川に居住して領事館をおき、江戸へ出て幕府と交渉する際、ここを宿館とし、事務をとった。ブラントは、慶応三年三月(一八六七年四月)代理公使に昇任していたから、この春桃院も江戸におけるプロシア公使館とよばれた。建物は現存していない。
【『東アジア滞在三三年回想録』】 なお、マックス・フォン・ブラントは、万延元年(一八六〇)オイレンベルク伯の武官として東洋諸国との条約交換に従事し、日本にも来たが、文久二年(一八六二)神奈川領事として赴任し、その後、一時休暇で帰国したこともある。明治八年(一八七六)中国駐剳ドイツ公使として転任するまで、長く日本に駐在し、帰国後累進して枢密顧問官となった。彼の著書には『東アジア滞在三三年回想録』がある。