(2) 福沢・近藤両翁学塾跡(浜松町一丁目一三番)

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【砲術調練場】 前記の江川氏は、芝新銭座(現海岸一丁目)に砲術調練場を開き(天保十三年)、橋本左内、桂小五郎、佐久間象山等幾多の人材に教授した。彼の死後、その建物の一部に鉄砲洲にあった塾を移して福沢諭吉は慶応義塾を開き(慶応四年)洋学を広め、明治四年に三田の現在地へ移った跡に、今度は近藤真琴主宰の攻玉社が置かれ、海軍に草創期から数多くの人材を送りこんだ。