(3) 西郷隆盛・勝海舟会見地(芝五丁目三三番)

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【薩摩屋敷襲撃事件】 慶応三年十二月、庄内藩を中心とする幕府方兵二千余名が芝の薩摩屋敷を襲撃した。江戸市中での薩藩兵の浪藉が原因の戦闘であったが、後の幕末の内乱の先がけとなる重要な意味をもった。
 内乱は朝廷方有利のうちに遂に東征―江戸包囲という事態になり、江戸は大きく揺れ動いた。結局、将軍の処分を含めて両者の合意が成立し、江戸が戦火にまきこまれることは避けることかできた。この無血開城の立役者が西郷隆盛と勝海舟であり、その歴史的な会見は薩摩屋敷でなされたというが、場所については諸説があり、定かではない。
 薩摩屋敷は現在の芝二~五丁目にわたり、焼跡は薩摩原と呼ばれ、明治末頃より電車車庫がおかれた。