【愛宕下病院】 明治六年(一八七三)一月、宮内省より病院設置のため下賜された一万円を基金として府立病院の設立が進められ、第二大区第四小区愛宕町二丁目元本多邸跡に建設されて翌年五月開院した。はじめは府下病院または愛宕下病院といい、九年四月より東京府病院と呼ばれるようになった。同九年に一時馬喰町、深川西平野町に分院をつくった。同病院は外来診療のほか、入院設備をもつ近代的病院として府民の治療にあたってきたが、同年全国的に天然痘が流行したので、貧困の者に対し病院で無料接種をおこなった。
翌十年(一八七七)六月、府布達により貧民で病気にかかり、自費で医療を受けられない場合に限り、診療券を発行し、無料で診療、施薬を受けられるようにした。さらに、同年七月府病院は設立当初の目的にそって施療病院に転じ、貧困者に限り施療することになり、病状によっては無料で入院することができるようになった。
同十三年府下に発疹チフスが流行したので、府病院内に仮の伝染病室が設けられ、翌年には腸チフス・赤痢・ジフテリア・痘瘡患者をこの病室に収容させたのである。なお、府病院には産婆教授所も設けられていた。
こうして、救済設備が極めて貧しかった時代に貧困者の福祉がはかられたこの病院も、同十四年(一八八一)七月三十一日限りで廃止されてしまった。