【開拓使東京仮学校】 官立の学校として港区地域内に設置されたものに、明治五年(一八七二)四月増上寺内方丈跡(芝公園四号地)に開設された開拓使東京仮学校がある。これは北海道開発のために設けられた開拓使官園付属の学校で、普通、専門の二科があり、北海道開拓者の中堅を養成するため、官費・私費の生徒各五〇名を入学させた。同年九月には同校内に北海道在籍者の花嫁を養成する目的で、女学校を付設、五〇名を限り官費生とし、漢学、数学、裁縫などを教授した。
同六年には、英語教師のベーツが本国から持参した三個のボールと一本のバットをもとに生徒達に野球を教え、開成学校に先んじて野球競技の草分けとなった。なお、開拓使学校は、同八年北海道に移され、今日の北海道大学の前身となった。
また、明治六年八月芝汐留にのちの逓信官吏練習所の前身である修技学校が設けられている。さらに、同七年十月海軍経理学校の前身である会計学舎が芝公園地内に設けられたが、翌年主計学舎と改称、同十年に一たん廃止され、のち再開して築地に移転して海軍経理学校となった。