【大塚岩次郎】 明治二年、佐倉藩士西村勝三は築地入船町に製靴伝習所を設け、また、佐倉相済社を設けて製靴技術を指導したが、同じ佐倉藩士の一人であった大塚岩次郎は、その相済社で技術を習得したのち、明治五年二月四日、芝露月町二四番地に大塚商店を開業。これは港区内の最初の靴工場であった。ついで、同十六年八月、芝白金台町二丁目に田中製革工場を設立している。明治十年の西南戦争前後になって靴の需要が高まり、店舗も拡張され、同十五年宮内省、同十七年海軍省、同十九年陸軍省との関係が生じるなど、陸海軍靴の製作注文という、軍事目的の充足による工場の生産力の飛躍的な拡充となり、下請工場制度を設けて生産力の増強を図った。日露戦争当時、海軍軍靴の八〇パーセント近くを受注したといわれる。