三田製紙所

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 明治八年三田小山町五番地に林徳左衛門の長男麒一郎名義で起こされた製紙工場で、明治初年のわが国六大製紙工場の一つと称された。創業当時の工場建物の規模は、次のとおりであった。
 
 石造(機械場) 三百六十坪  一 土蔵二階   十三坪
 煉瓦造( 〃 )    七坪  一 木造 六百十三坪
 土蔵  二十九坪  一 木造二階  三十九坪

 
 その敷地は、三田小山町元神明より一ノ橋の河岸までの広大な面積を占めていた。抄紙機械や付属品などは横浜在住の米国貿易商ウィリアム・ドイルが出資している。
 林徳左衛門は鹿児島の豪商出身で、当然政府の要人大久保利通と密接な関係をもっており、当時地租改正事業を実施しつつあった状況のもと、地主に交付する地券用紙の製造を請け負うという背景があったのである。この地券紙製造は明治十三年まで続いたが、その他に書籍用紙・薄紙新聞用紙・包紙・書翰用紙・色紙などが生産され、漉物の多くは官庁からの需要であった。三田製紙所は同十三年に経営一切が真島襄一郎に譲渡され、その名称も、「真島第二製紙所」となったが、結局、その経営が失敗し、同十五年には、再び林に買いもどされることになったが、工場は閉鎖されることとなり、施設は印刷局などに売却された(「日本紙業綜覧」)。