東京瓦斯第一製造所

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【浜崎町のガス製造所】 芝浦製作所とならんで特筆されるべきものに芝区浜崎町のガス製造所がある。明治七年十二月にガス街燈点火を目的に稼動しはじめたガス製造工場である。
 ガス燈の建設は、明治七年一月から着手された。上海でガス燈建設を行なったフランス人の技師アンリー・プレグラン(ペル)の指導のもとに、明治五年二月の大火を契機とする銀座煉瓦街の建設と同時に、近代都市の照明に向かうことになったのである。同六年十一月、東京会議所に瓦斯掛が置かれ、十二月西村勝三らが大久保一翁東京府知事の許可を得、七分積金を建設資金とし、ガス製造所敷地として芝浜崎町の旧丹羽邸跡三四二三坪余の貸し下げを受け、ガス製造施設を建設したのである。プレグランの設計のもとに工事がすすめられ、七年十二月金杉橋より京橋までのガス街燈工事が竣工、同月十八日東京に初めてガス燈が点火された。その街燈数八五基、製造能力一日七〇七立方米、料金二八・三立方米につき三円七五銭であった。九年ごろには市内のガス燈は三五〇基をかぞえたといわれる。同九年五月、東京府に瓦斯局が設けられ東京会議所の事業を引き継ぎ、渋沢栄一が事務局長となり事業を拡大、明治十八年七月さらに民間に払い下げられ、東京瓦斯会社の成立をみたのである(東京瓦斯株式会社『東京瓦斯七十年史』)。