明治十一年から『東京府統計書』により芝浦漁業の概況が数的に明らかになるが、十一年当時、芝金杉七カ町および本芝四カ町でその船数はあわせて五三隻、漁夫七九人をかぞえている。それは他浦とくらべてかなり劣勢ではあるが、その収益では一船当たり収益で、郡部各浦にくらべ、むしろ高かったのが特色である。江戸期の正徳年間の記録では、芝の漁船は、金杉浦に一二六艘、本芝浦に一一九艘、あわせて二四五艘をかぞえており(『芝区誌』)沿岸漁業の衰退化は明白である(表5~7)。
表5 明治初期東京府漁業の地域別比較
地域 | 町村名(現在区名) | 船数 | 漁戸 | 漁夫数 | 収益 | |
明治 11年 | 明治 15年 | 明治 11年 | 明治 15年 | 明治 11年 | ||
金杉浦 本芝浦 佃島浦 品川浦 御林浦 羽田浦 袖志ヶ浦 荒川 深川浦 | 芝金杉外七ヵ町(港区) 本芝四ヵ町 (同 )* 佃島 (中央区) 南品川猟師町 (品川区) 大井村ノ内林町(大田区) 羽田村外二ヵ村( 同 ) 東西船堀村外二三ヵ村(江戸川区)** 千住中組北組外三ヵ村(足立区) 大島町外七ヵ村(江東区) | 隻 24 29 190 128 146 649 371 30 ― | 戸 69 35 104 123 819 703 233 ― 126 | 人 40 39 140 208 204 1,101 1,225 37 ― | 人 78 42 356 140 1,099 1,642 233 ― 198 | 円 2,599 2,925 2,900 5,159 7,548 65,857 32,125 91 ― |
(注) *明治15年は本芝外七カ町分とある。
**明治15年は長島村外19カ村とある。
(明治11.15年『東京府統計書』)
表6 漁戸職業別表
漁業専門 | 漁業漁具兼業 | 漁具専業 | 漁業魚売商兼 | 合 計 | |
金杉浦 本芝浦 新網町 合 計 | 27 17 14 58 | 14 6 7 27 | 3 1 4 | 3 20 23 | 47 43 22 112 |
(明治13年『東京府統計書』)
表7 漁船種別数
種 別 | 中手繰 二人乗 | 小手繰 一人乗 | 投網船 | 縄 船 | 釣 船 | 小 舟 一人乗 | 漁 網 | 貝捲船 | 合 計 |
金杉浦 本芝浦 新網町 | 5 16 | 10 24 2 | 6 | 16 2 22 | 11 3 | 7 1 | 33 | 3 | 88 43 30 |
(明治13年『東京府統計書』)
【明治前期の概況】 芝区漁業の一つの特徴として、その水揚高の多かったものがクロダイ・ボラ・小スズキ・ハゼ・ウナギなど河口性の浅海魚族であったことがあげられる。年次により一進一退を示しながらも、これらの漁獲高の推移は全体の傾向として漸減の方向を突っぱしった。東京府における宅地の増加や資本制生産の展開は、漁業を含めた原始諸産業の衰退を必然的に促していく。すなわち、荒廃の主要な原因は、隅田川口改良工事をはじめとする東京港の発展にともない船舶交通が次第にひんぱんになっていったこと、埋立工事による海面の陸地化がすすみ、埋立地に立地した工場地帯からの有害物放出による海水汚染などによるものであった。
金杉や本芝の漁業の特徴は、主として延縄(はえなわ)を使用することにもあった。太平洋戦争以前の金杉の漁家が使用していた延縄は、大きく分けて約一一種類ほどかぞえられる。また、明治五年ごろの芝柴井町では、釣竿一六〇本、釣針一〇万本、芝田町では漁網七五〇貫の生産があったと『東京府志料』には記録があり、同十三年の統計では、当区域で漁具を専門につくる家が金杉に三戸、新網町に一戸あったことがわかる。