(九) 芝・麻布・赤坂三区の誕生

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【三新法の発布】 明治十一年七月二十二日、いわゆる三新法(郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則)が発布された。同年三月大久保利通が政府に提出した「地方体制等改正之儀」と題する建白書に明らかなように、農民騒擾と自由民権運動に対する政策的な性格を帯びており、統一的な地方制度の再編成であった。
【芝・麻布・赤坂の三区新設】 こうして、同年十一月二日、東京府の行政区画は従来の一一大区一〇三小区を廃止、新たに一五区六郡に改編され、ここに芝・麻布・赤坂の三区の誕生をみた。地理的条件や財政的理由から旧宿場町や近郊農村を中心に郡部を成立させ、江戸府内といわれ、八〇万といわれる人口を擁して府税の多い点が一五区の境界線となった。
 この際、従来七大区一小区に属して朱引外であった各町村は郡部として荏原郡に編入され、芝地区に属していた白金村、今里村、三田村は荏原郡に編入された。