東京製綱株式会社

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【近代工場の増加】 明治二十年四月一日、麻布区本村町一四三~一四六番地に設立。ここは土屋相模守の下屋敷があったところで、敷地は約一万三六〇〇坪。株金五〇万円、渋沢栄一・益田孝・渡部温・山田昌邦ら有名実業家によって組織された。
 工場は麻布本社に第一~第三工場を置き、縷糸製糸工場・機械製綱場・乾燥室・発電所を施設、市内深川などに分工場を設け、麻布では主として麻綱、深川では鉄索・鋼索を製造。機械はすべて英国・米国から輸入、技術的提携を結んで生産を開始した。政府の富国強兵策を背景に、製品のロープ類は膨大な需要があり、明治三十年代の重化学工業の勃興が進むなかで、『新撰東京名所図会』は、次のように指摘している。
 
  我海陸軍及日本郵船会社、三菱造船所、横浜浦賀船渠会社及インタアナショナルコンパニイ、日本、宝田等の石油会社は、皆当社製品を採用し、海外に向ては露国東洋艦隊其他浦塩斯徳(うらじおすとっく)、旅順(りょじゅん)、上海(しゃんはい)、新嘉坡(しんがぽーる)、彼南(ぺなん)、孟買(ぼんべい)、南米等に輸出せり(明治三十五年十月)。