明治二十三年三月に設立された池貝庄太郎の池貝鉄工所は、府下における工作機械製作所としてもっとも古く、特筆に値するものである。本芝入横町と三田四国町に工場を有し、明治二、三十年ごろのわが国の機械製作メーカーが一般にまだ未熟であり、仕事ぶりも粗雑な傾向にあった時に、もっぱら厳密な方法をとり、機械工業の範を示した。
同社は、明治二十九年はじめて三馬力の石油発動機を製造した。当時は外国製の発動機も概して二、三馬力であったという。同三十年には、同所でガス機関を製作、四十一年ごろから漁船用の石油発動機が盛んに造られるようになり、その馬力も後には三〇馬力に達し、第一次世界大戦中ロシア政府の注文により船舶用三馬力ガソリン機関六〇〇台を納入したが、この製作を前後八カ月で完了するだけの生産技術をそなえていたといわれる。同社は主に中型工作機械に意をそそぎ、また、種々便利な旋刃機、砲塔旋盤などを製作し、佐賀の唐津鉄工所とともに斯界の覇者であった(『東京府史』行政篇第三巻)。