(1) 兵営

535 ~ 536 / 1465ページ
【兵営の概観】 港区地域とくに赤坂区・麻布区には兵営が多く集中していた。明治四十年東京市が刊行した『東京案内』(下)によって、その兵営を概観してみよう。
 
    麻布区
  ○第一師団歩兵第一旅団司令部(麻布三河台町)。明治十八年六月設置。
  ○第一師団歩兵第三連隊(麻布竜土町)。明治七年日比谷操練場で編成され、明治二十二年当地に移転。
 
    赤坂区
  ○第一師団司令部(青山南町一丁目)。明治四年九月東京鎮台が、麹町有楽町の兵部省内に設置されたのが
   起源。二十一年五月東京鎮台が廃され、第一師団司令部が置かれ、赤坂離宮内に移されたのを二十四年
   三月当地に移転。

第一師団司令部(明治44年ころ)

  ○麻布連隊区司令部(青山南町一丁目)。第一師団司令部構内に位置。明治二十一年五月の開庁で、はじめ
   麻布三河台町歩兵第一旅団司令部に置かれ麻布大隊区司令部と称したが、同二十九年三月麻布連隊区司
   令部と改称し、同年八月当地に移った。当連隊区司令部は、所管連隊区内における徴兵、召集、在郷軍
   人の服役・召集、在郷将校団および在郷軍人会に関する事務を掌り、設置当時は第一師管第一旅団に属
   し、東京府下では、芝、麻布、赤坂のほかに麹町、神田、日本橋、京橋、四谷、牛込、小石川の諸区、
   荏原、豊多摩、西多摩、南多摩、北多摩の諸郡、伊豆七島、神奈川県橘樹郡および同都築郡を管轄。
  ○近衛歩兵第二旅団司令部(赤坂一ツ木町)。明治十九年六月設置。本部を麹町区外桜田町に置く。二十四
   年赤坂台町に移り、のち当地に移る。
  ○歩兵第二旅団司令部(青山南町一丁目)。明治十八年六月千葉県佐倉に設置。のち第一師団司令部内に移
   り、三十五年一月当地に移転。
  ○近衛歩兵第三連隊(赤坂一ツ木町)。明治十八年七月の創設。兵営ははじめ霞ケ関、明治二十六年旧芸州
   藩中屋敷跡にあった衛戍監獄を郊外に移して設置。
  ○歩兵第一連隊(赤坂桧町)。明治六年改称の東京鎮台歩兵第一連隊第一大隊が本隊の創始。その後第二、
   第三大隊を新設、明治十七年六月、各大隊はすべて当地に移る。乃木希典は明治十一年当時陸軍中佐と
   して本連隊の第二代連隊長に補せられている。
 
 このほか、青山北町一丁目(現 北青山一丁目)に日本陸軍の中枢たる将官を養成する陸軍大学校があった。東京の「軍都」的な側面は、日清から日露にかけて、対外戦争にそなえた軍備拡張のなかで深まっていったが、兵営周辺の街にとって近代日本の進路に深い痕跡を残した二つの戦争のもたらした影響は、陰に陽にさまざまな町の貌をつくっていった。