(一) 明治の終焉(えん)と大正のはじまり

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 明治天皇の死去が、明治という時代そのものの終焉(えん)であるなら、新しく出発した大正という時代は、「大正デモクラシー」の時代とよばれた民主化への一歩をふみ出した時代であったといえる。その明治年間を通じて、「権力」が薩長という藩閥を中心にして、支配力を強めてきたことに快く思わない人々に「息のつまる状態」から解放されたいとする意識が高まってくるのも当然であった。
【明治天皇の葬儀】 明治四十五年(一九一二)の夏の暑い盛りに死去された天皇の葬儀は、新しく大正(「大亨以正天之道也」<大いに亨(とお)りて以て正しきは天の道なり>『易経』にもとづく)と改元された九月十三日に区内の青山練兵場でとり行なわれた。明治という日本の力の大きな支柱をなしていた明治の精神そのものまでは、ここに葬りさられはしなくても、少なくとも一応の終わりをつげたといってよい。

青山練兵場で行なわれた明治天皇の葬儀

 明治四十五年七月三十一日の各新聞は、いずれも大正天皇は、当分青山御所に起居し、毎日宮城に赴かれる旨が伝えられ、区内の青山御所は一時的にもせよ、脚光を浴びる場所になった。
 明治天皇の葬儀が青山練兵場で行なわれたこの日、赤坂乃木邸にもう一つの明治の終末をしめくくる事件が起きた。乃木(希典)将軍夫妻の殉死である。区内の人々ばかりか東京中の人々を驚ろかせ、日本国民全体に一層の悲しみをつのらせたばかりでなく、そこに日本の武士道的な姿をみるというのが一般外国人のいだいた感想であった。
 こうして、時代は新しい大正時代へと転換する。