(二) 大正初期の市街概観

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 大正初期の区内を地域的に概括すれば、まだまだ明治時代の延長で、旧山の手の邸町(やしきまち)といった感のある麻布・赤坂の地域に対して、芝区域はかなり下町的な商店小売業の並ぶ賑やかな町並みが各所にみられ、また、大工場こそ少ないものの、古川流域には小工場群がひしめいており、芝浦辺も工業発展の気配をみせ、活気ある市街の姿を示していた。
 次に大正三年(一九一四)十一月出版の『東京概観』によって、第一次大戦当時の区内の市街状況の特色をみてみよう。
 区内の最大特色は、離宮や御所など皇室用地があることを指摘し、東宮御所、赤坂離宮、青山御所、芝離宮をあげている。
 
  東宮御所 芝区高輪西台町にある。維新前は旧熊本藩細川侯の邸地だった。明治二十四年六月新たに御殿を設けて高輪御殿と称し、大正三年東宮御所と改められた。
 
  赤坂離宮 赤坂区にある。旧紀州藩邸であったが、明治五年三月離宮となり、六年五月皇居火災炎上後仮皇居に充てられた。二十二年仮東宮御所と定められ、三十一年離宮内に東宮御所を新営するに当って、その間東宮御所を青山離宮に移した。新東宮御所は明治四十三年落成、洋風三層の建築、ルイ十四世式を用い、各国の宮殿を参酌し造営……大正三年二月高輪御殿を東宮御所と定められるに及んで、同御所を赤坂離宮と称することとなった。
 
  青山御所 赤坂区青山にあり、明治七年一月皇宮を置かれ、更に青山御所と称した。三十一年二月離宮となり、青山離宮という。大正二年七月再び青山御所と改称した。御苑は南半苑を青山離宮といい、北半苑を赤坂離宮とする。「眺望開濶にして林泉の美頗る巧致を極む」といわれ、明治十三年以来苑内に菊花の珍種を培養し、毎歳観菊会が開催された。
 
  芝離宮 もと元禄年中、老中大久保忠朝が経営した名園であったが、明治四年三月以来有栖川宮邸となり、八年八月皇太后非常御立退所として宮内省へ買い上げられ、九年二月離宮と定められた。境域三万一千九百余坪、「壮麗なる御殿」があった。中央に二千七百余坪の泉水を設け、品川湾の海水を導き、池中島あり、橋あり、頗る観望に富んでいる。(その後地域はまったく縮小され、現在のようになった)
 さらに、区内の特色は麹町区とともに皇族邸と各国大公使館が集中的にあるところとしている。いま、所在地をあげておく。
 
 皇族邸
  東伏見宮邸赤坂区葵町華頂宮邸 芝区三田台町
  久邇宮邸 麻布区鳥居坂町東久邇宮邸麻布区鳥居坂町
  朝香宮邸 麻布区鳥居坂町
 大公使館
  アメリカ大使館赤坂区榎坂町スペイン公使館麻布区広尾町三
  オランダ公使館芝区栄町三ブラジル公使館赤坂区葵町三
  スイス公使館麻布区材木町五四シヤム(タイ)公使館麻布区霞町二
  ベルギー公使館麻布区裏霞ヶ関チリー公使館麻布区林木町五五
  ポルトガル公使館赤坂区新坂町六七