(1) 大正初期の産業経済

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 芝区内は、一五区内でも指折りの工場のあったところであるが、今、大正三年当時の職工二〇〇人以上の主な工場をあげると次のとおりである(『東京概観』による)。
 
 芝浦製作所 芝区金杉新浜町
  明治八年田中久重の創立、機械製作所として最古の一つ。二六年三井がこれを継承、三十七年株式会社とし、電気機械および一般機械類の製作を行ない、漸次拡張、四十四年米国ゼネラル社と協定、彼の製品はすべてここにて製作する権利を得、大正二年増資五〇〇万円。発電機、電動機、変圧器、碍子(がいし)などの特許権を持っている。
 
 池貝鉄工場 芝区本芝入横町にある。池貝庄太郎の経営、石油発動機のほか旋盤、穿孔機製作等を行なう。
 
 東京市電気局工場 芝区浜松町二丁目に在る。電車および電車附属物の製造で、使役職工一〇〇〇名に達する。
 
 このほか、芝区の田町三丁目の沖商会電機製造所、愛宕町三丁目の東洋印刷株式会社が知られていた。
 大正三年当時では、まだ芝浦一帯が、工場地帯となる前の初期の段階で、こうした状態が、欧州大戦による好況とともに、芝浦方面が物資輪送の面で重要な位置を占めるようになると、芝浦は徐々に発展の様相をみせ、工場が次第に増加していった。
【専売局工場】 なお、田町の専売局第二煙草製造所は、区内の官営工場として、大正時代の区民に特に親しまれていた。専売局の工場は第一は淀橋町(現 新宿区)にあって有名だったが、第二が田町、第三は浅草南元町にあった。まだ、大工場数が微々たる状態の時、この田町専売工場は両切、葉巻の製造で知られていた。
 
  同所(第二田町工場)にては、百二十五馬力のボイラー三台を装置し、男女職工合せて一千六百人を使役し、最近一箇年間の製造高は口付煙草八億五千万本、両切煙草十億三千万本、葉巻煙草百五十万本に達す(『東京概観』による)。
 
 大正三年という時点において男女職工一六〇〇人といえば、大変なもので、その出勤退所風景は区民にとって壮観だったらしい。
【洋家具商】 なお、区内のうち、愛宕下から田村町へかけての洋家具製造業は、明治大正にかけて東京における独特の発展をみせ、造って売り、おさめる、特殊な洋家具の店がならんでいて有名だった。