(4) 小学校教育

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 大正にはいると、区内の小学校の学校数の増加にはめざましいものがあった。
 大正十年の「東京市学事要覧」によると、当時、芝区には鞆絵(西久保巴町)、御田(三田台町一丁目)、桜川(愛宕下町)、南海(夜)(三田四国町)、白金(白金今里町)、桜田(新幸町)、南桜(南佐久間町二)、芝(三田四国町)、西桜(桜川町)、台町(高輪台町)、三光(白金三光町)、愛宕(芝公園)、高輪(高輪北町)、神明(神明町)、神応(白金三光町)の一六校を数え、下谷区の一六校とともに一五区中最も小学校の数の多い区であった。しかも、このほかに夜間の市直営小学校、芝浦(新網町北)があった。下谷区も万年町に万年小学校の市直営夜間小学校があり、この点でも両者がならんでいる。
 また、麻布区では、麻布(東鳥居坂町)、南山(宮村町)、飯倉(北赤羽河岸)、三河台(三河台町)、本村(本村町)、笄(筓町)、麻中(仲の町)、東町(東町)の八校、赤坂区では赤坂(一ツ木町)、青山(青山南町三丁目)、中ノ町(桧町)、青南(青山南町六丁目)、氷川(氷川町)の五校があった。
 何といっても、当時の小学校の児童たちは、鈴木三重吉の『赤い鳥』とか、それに刺激されて出た『樫の実』とかという、いわゆる新しい児童雑誌によって感化され、ともかくのびのびとした教育をうけ、よき時代を満喫していた世代だったといえる。
 なおこのほか、大正十年現在、三田台裏町に飯田、三田慶応大学幼稚舎、白光三光町に聖心女子学院小学校、高輪南町に南高輪の四校の私立小学校が芝区内にあったことは特筆すべきことかも知れぬ。赤坂区、麻布区には私立小学校はなかった。
 私立小学校は別として、公立小学校の児童数は、
 

麻 布
赤 坂


八、八五九
四、九四九
三、〇五七


八、六八四
四、七三八
二、八八九


一七、五四三
九、六八七
五、九四六

 
となっている。これが大正十年の姿であった。
 大正と昭和初年を就学率について比較してみると表17のとおりである。
 

表17 大正年間および昭和初期就学率

地 区性 別大  正昭  和
元年5年10年元年5年
芝 区96.5198.2698.9099.1199.63
96.4797.8898.7799.1599.64
男 女96.4998.0798.8499.1399.64
麻布区98.6898.6899.2799.5699.30
97.9798.7499.2499.3699.61
男 女98.3398.7199.2599.4699.45
赤坂区98.6999.2899.3299.4899.48
98.8398.8899.2199.4899.65
男 女98.7699.0898.2699.4899.56
市区部96.6597.6898.3298.9499.21
96.4897.6198.1398.8199.21
男 女96.5797.6598.2398.8899.21

(旧『港区史』所載)


 
別表からすると麻布・赤坂両区が区部平均を常に上回る高い就学率を示している。これは教育に強い関心をもつ階層の居住地域であったことや、経済的負担に耐えうる階層の居住地域であったためであろう。