災害が関東地方だけだったため、国内各地から救援物資がどんどん送られてきたが、海外からの救援物資もおびただしく相ついで送られてきた。市民の感謝はひとしおだった。
しかし、ここに区内で一つの問題がおきた。アメリカの救援物資を満載した船が、芝浦の日の出桟橋に着岸しようとして芝浦に入ってきたところ、海底が浅く、大船が着岸することができないという問題である。市民のための救援物資だからというので、アメリカの船は船底をきずつけてまで強行着岸を行ない、無事日の出桟橋に救援物資をおろして、市民の手にわたすことができたのである。
このことは、やがて東京港を芝浦に設けるという大きな問題となって発展する直接の原因となったといってよい。