(2) バスの発達とタクシー

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 また、震災後はバスの発達もめざましく、青バスと市バスの競争時代を現出した。ことに昭和二年の大不況から十二年ごろにかけて、ガソリンが安く、そのため一方では円タクの大流行をうながし、過度の競争は、ついに円タクどころか、二〇銭・三〇銭の安料金で客をのせて市内を走り回るほどだった。この結果、市電もバスもとうてい円タクに太刀うちできず、赤字つづきになってしまった。交通地獄という言葉はこの時もう一部でいわれたが、まだまだゆとりがあり、今とは比較にならないものであった。何しろ当時の人々の話に新橋駅の前でタクシーに乗って、池袋の少しさきの立教大学まで行っても七〇銭だったという。これでは電車さえ顔まけといってよいであろう。こうした円タクの洪水にやや食傷気味だった東京の交通も、やがて満州事変を契機として起こった日中戦争の拡大によって、軍優先の経済統制がしかれ、まったく様相を違え、窮屈になっていった。