(1) 商店街の盛況

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 関東大震災後、近代的都市によみがえった東京は、多くの地方からの人々の集中を促し、下町の商店街などは明るいモダンなショーウインドーに顧客を吸いよせた。こうした傾向のうち、とくに銀座の復興が目ざましかった。銀座八丁をただうっとりとぶらつく銀ブラ党を出現させたほどである。そのため、銀座が、むしろ日本橋の繁栄をしのぐ商店街になった。その影響で、新橋一帯も旧に倍した賑やかさをとりもどし、芝口などの新橋駅前付近は震災前より、はるかに賑やかになっていった。昭和元年調査の宅地売買価格によると、
 
区 名最     高町 名最     低町 名
一坪時価一坪地価一坪時価一坪地価

日本橋
京 橋

麻 布
赤 坂
円  
一〇〇〇・〇〇
一七五六・〇〇
五〇〇・〇〇
一七一・〇〇
二五〇・〇〇
円  
八七・五〇
六五・〇〇
三八・五〇
一三・六三
一五・五〇

室町一丁目
尾張町二丁目
芝口一丁目
六本木
赤坂田町五丁目
円  
九一・〇〇
一二〇・〇〇
四九・九七
二九・九四
九〇・〇〇
円  
一三・〇〇
一一・〇三
一・六四
一・六四
一・七八

亀沢一丁目
越前堀三丁目
白金三光町
広尾町
表町三丁目

 
となっており、港区内では、芝口一丁目辺や赤坂田町、麻布六本木辺が、いわば一等地的な場所であり、赤坂表町辺や広尾辺、白金三光町辺はまだまだひらけない、さびしい街だったということがわかる。
 しかし、震災復興後まだ日の浅い昭和元年の調査とはいえ、六本木が麻布区第一の土地価格を示していても、なお、当時の新橋付近一帯、芝口一丁目に比べて三分の一の価格にすぎなかったことは、三区の土地柄と状況をよく示していて面白い。