(3) 震災後の工業

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 震災後の港区工業の特色は、いうまでもなく芝浦埋立地に顕著な発達をみせた芝浦臨海工業地帯の形成である。しかし、この陰に隠れがちであるが、第一次大戦を契機として、古川沿岸低地に金属製品や機械の製造工場を主体とする小規模経営による設備投資が行なわれ、震災後には一ノ橋上流、麻布新広尾町、芝白金志田町、白金三光町などの平坦地にめざましい開発が行なわれたことは特筆に価する。
 一応発展の初期においては、町工場の密集地帯とでもいうべき形の発展があり、それが満州事変以後の軍需景気の盛り上がりとともに、下請的小工場でありながら、多くの工場が零細企業の活路を軍需に見出して、工場地帯とよぶほどの地域をつくりあげていった。
 このほか、古くから三田四国町辺一帯、古川の将監橋――赤羽橋間の南岸諸町、芝新堀町、松本町、三田四国町なども工場が発達していた地域として注目される。かつては、明治の芝における大工場といわれた池貝鉄工や日本電気、日本鉛管、朝比奈鉄工などが、ここに工場を建設して、工場地帯としてこの辺を発展させてきたことは忘れてはなるまい。
 さらに、大正初期の欧州大戦の好況時代、ここに工場を設ける会社が次第に増加していき、関東大震災後は多くの工場がここに集まってきて、芝浦の埋立地の重工業地域とは別な工場地帯として、その発展著しいものがあったといえる。
 区内の主要工場として、震災後自他ともに許すほどの大工場としては、芝浦製作所、沖電気、池貝鉄工所、森永製菓、日本電気株式会社とその芝浦分工場などがあった。
【公企業的大工場】 このほか特筆すべきは、政府機関、公共関係の大工場が、芝区内に集中して存在したことである。
 
  1 東京地方専売局芝工場(煙草)芝浦分工場(昭和七年四月廃止)赤羽分工場(昭和七年九月廃止)
  2 東京瓦斯株式会社芝工場  南浜町一八
  3 東京市電気局芝浦発電所  芝浦埋立地 月見町三ノ一
 
 こうした特殊な大工場の存在も、芝区の一つの特色をなしていた。