(四) 復興後の世相と港区

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 震災復興後の一つの特色として、街のならび――たたずまいといってもよい――が、モダンになって明るくなっていったことは、多くの人の指摘するところである。
 よく震災後の東京を風俗的にみれば、その最大の特色はというと、ネオンの色彩とメロディの物悲しい流行歌の音響、「色と音」がその代表だという。港区内においても、新橋駅を中心にしたバー・特殊喫茶、飲み屋の街の発展は、まったくネオンの街にしていった。その他、各所の盛り場も小規模といえど同様である。不況不況といいながら、多くのサラリーマンは〝心の憂さの捨てどころ〟を、こうした巷にはけ口を求めた。それは復興後の東京風俗の一つの姿であった。
 音のほうは、愛宕山の放送局からラジオの放送が行なわれて、市民生活のうえにまったく新しい大きな影響を与えた。ラジオ体操の流行のほかに、夜の巷の流行歌のメロディを、ラジオを通じて多くの人々に親しまれる「音の世界」を提供したのである。