これは不況と工場の発展で、地方から出てきた人がなお市内に入りこむ形をとったためとみられている。ことに、関東大震災以後、爆発的な郡部人口の増大に比例して、一時は市内を逃げ出した人々も、再び職場の関係から旧市内へもどるもの、あるいは新たに地方より流入してくる者などによって、旧一五区の人口も漸増の形をとるようになった。
昭和七年の郡部八二町村の併合、大東京市の成立は、新しい区部の人口の著しい増加を示すと同時に、頭うちと一口にいいきれない旧一五区の漸増の形を少しずつおし進める形にあったといえる。
いま、港区内の人口の発展のあとをみると、大正九年以降、関東大震災を経過しても、なお、頭うちというのが至当であるかも知れない。むしろ、微減の状態にあったといっても差し支えないであろう。
戦時下の生活に至るまでの区民の姿を人口のうえからとらえれば、余りさしたる変化はなかったといえる。
以下に三区の人口の推移を示すと表22のとおりである。
表22 年別世帯数および人口数
① 世帯数
明治四一・一〇・一 | 大正九・一〇・一 | 同一二・一一・一五 | 同一三・一〇・一 | |
芝 区 麻布区 赤坂区 三区合計(港区) 東京市 | 三一、二六七 一四、八〇八 一〇、一二六 五六、二〇一 三七六、四二八 | 三六、八四九 一八、八二八 一一、五四六 六七、二二三 四五六、九三五 | 三二、二九九 二一、三四五 一二、六〇七 六六、二五一 三四〇、二七八 | 三六、九〇三 一九、二七八 一一、六〇四 六七、七八五 四一七、三五三 |
同一四・一〇・一 | 昭和五・一〇・一 | 同一〇・一〇・一 | ||
芝 区 麻布区 赤坂区 三区合計(港区) 東京市 | 三六、〇八四 一九、一四六 一一、六六四 六六、八九四 四二九、八五二 | 三四、七七八 一七、三九九 一〇、八六一 六三、〇三八 四一四、七一〇 | 三六、四二一 一七、五六三 一〇、七九七 六四、七八一 四三七、一三〇 |
② 人口数
地域 | 人口 | 明治四一・一〇・一 | 大正九・一〇・一 | 同一二・一一・一五 | 同一三・一〇・一 |
人/km2 | |||||
芝 区 | 人 口 人口密度 | 一三六、二五六 一九、一六四 | 一七九、二一四 二〇、八二七 | 一五二、八八〇 一七、七一三 | 一七三、〇一九 一九、八八九 |
麻布区 | 人 口 人口密度 | 六五、八七六 一六、九三四 | 八八、五五八 二二、七六六 | 九八、一五五 二五、二三三 | 八九、七〇一 二三、〇六〇 |
赤坂区 | 人 口 人口密度 | 五一、三二一 一二、九九三 | 六二、二三二 一四、四六六 | 五九、五〇八 一四、三二六 | 六〇、九三九 一三、五六三 |
三区合計 (港区) | 人 口 人口密度 | 二五三、四五三 一二、八四六 | 三三〇、〇〇四 一六、七二五 | 三一〇、五四三 一五、七三九 | 三二三、六五九 一六、四〇四 |
東京市 | 人 口 人口密度 | 一、六二六、一〇三 二一、七六〇 | 二、一七三、二〇一 二六、七五七 | 一、五二七、四八九 一九、一六〇 | 一、九二六、三一〇 二四、二〇三 |
地域 | 人口 | 同一四・一〇・一 | 昭和五・一〇・一 | 同一〇・一〇・一 | |
人/km2 | |||||
芝 区 | 人 口 人口密度 | 一七一、五九〇 一九、九四一 | 一七五、七六〇 二〇、四二五 | 一九〇、七五七 二二、一五五 | |
麻布区 | 人 口 人口密度 | 八七、九〇六 二二、五九七 | 八六、四九三 二二、二三四 | 八七、八五七 二二、五四八 | |
赤坂区 | 人 口 人口密度 | 六一、〇四五 一四、一九〇 | 六〇、二三四 一四、〇〇一 | 五八、七〇〇 一二、六五一 | |
三区合計 (港区) | 人 口 人口密度 | 三二〇、五四一 | 三二二、四八七 | 三三七、三三三 | |
東京市 | 人 口 人口密度 | 一、九九五、五六七 二四、五七〇 | 二、〇七〇、九一三 二五、四九八 | 二、二四七、三六八 二七、六六七 |
【人口上の特色】 外人の多い区、これが一口にいって、芝・麻布・赤坂三区に冠せられた特色である。
外国大公使館、領事館公館など、区内にはそうした外交関係上の重要な建物がかなりあったうえ、個人的に生活上からも、芝・麻布・赤坂に居住する外人がかなりあったことは注目されてよい。
【市内で寄留外人の多い地域】 当時、港区地域は東京市の全人口の約五パーセントを占めていたのであるが、表23でみると、外国人は東京市在住のもののうち約一八パーセントが住んでいたことがわかる。とくに寄留外国人の多い地域であったわけである。これを旧地区別にわけてみると、実数においては麻布区が一〇パーセントに近くて最も多く、ついで芝区が五パーセント強、赤坂区が二・七パーセント強となっているが、一般人口との比較においては、麻布区、赤坂区、芝区の順位で少なくなっている。しかし、芝区としても一般人口の市総人口にたいして占めた割合よりは、はるかに外国人の比率が高かった。港区地域の重要な特徴といわなければならない。
表23 昭和15年寄留外国人世帯および人口
区 | 総 数 | 満州国 | 中華民国 | ソヴィエット 連邦共和国 | 旧ロシア | ドイツ | イギリス | |||||||
世帯 | 人口 | 世帯 | 人口 | 世帯 | 人口 | 世帯 | 人口 | 世帯 | 人口 | 世帯 | 人口 | 世帯 | 人口 | |
総 数 旧市部 港区地域 芝 区 麻布区 赤坂区 | 2,948 1,520 544 176 299 69 | 7,145 3,675 1,276 379 697 196 | 460 198 30 3 25 2 | 886 304 83 6 74 3 | 1,223 669 156 51 79 26 | 3,356 1,972 445 168 200 77 | 106 68 63 14 49 ― | 335 194 189 44 145 ― | 79 56 18 8 8 2 | 188 133 47 18 20 9 | 235 101 47 13 29 5 | 483 165 75 23 42 10 | 133 83 46 23 9 14 | 271 170 67 23 19 25 |