(1) 満州事変後の区内工業

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 第一次大戦後の戦後恐慌以来、慢性的不況が進行していたが、加えるに関東大震災があり、昭和二年(一九二七)に至り、金融恐慌の口火が切られた。同四年には、アメリカの恐慌を契機とする世界恐慌に直面する。時の浜口内閣の金解禁と緊縮政策は恐慌と相まって、昭和恐慌をとくに深刻なものとした。
 こうした不況下に喘いでいた工業生産は、昭和六年(一九三一)の満州事変の勃発とその後の戦争拡大を契機に、軍需生産は拡張の一途をたどり、工場の新設、拡張、増資が相ついで行なわれた。
 昭和六年末に、国防生産力把握の必要上から従業員五人未満の小工場も対象として工業調査が行なわれているが、この時の統計結果を大正十四年の調査と比較すると次のことが指摘できる。
 大正十四年、昭和七年の工場数を比較してみると、調査基準の相違はあるにしても、満州事変による不況の脱出をそこに読みとることができよう。また、昭和七年当時の工業生産高では、芝区の機械器具工業(いうまでもなくその中心は兵器産業)および食料品工業のあげた生産高は、いずれも三五区中の第一位、木工部門では第三位である。麻布区では化学・機械器具工業部門の伸長がみられる。麻布・赤坂両区は区自体の発展は目覚ましく、とりわけ赤坂区は大正十四年に比較して生産高は三・二倍となっている。
 その後の戦争拡大につれ、大森・蒲田・板橋・王子等の地区に工場が新設され、急速に市街化していったが、港区の場合は、工場の増加よりも、むしろ機械器具・鉄鋼・軍需食品部門などへの労働力・生産の集中がおこなわれた。
 表24は、昭和十年(一九三五)九月現在の主要工場であるが、職工(労働力)、動力(機械力)の集中がいかなる工場にくりひろげられていたかを示すものとして興味深い。
 

表24 昭和十年九月現在の主要工場 (工場法適用工場のうち職工数一〇〇人以上)
昭和十一年版『東京市工場要覧』による。

工  場  名所  在  地製造品目設立年月職   工   数動 力
(馬力)
(資)東京鉄骨橋梁製作所芝区月見町二の四鉄工大正13・7二二二二二二六三三
(資)横河橋梁製作所〃    一の七橋梁・鉄構
造物
〃 11・2一九三一九四一八五
(株)池貝鉄工所


〃 本芝四の一五
〃 田町一の二
〃 三田四国町二の五
石油ガソリ
ン発動機
諸機械
〃 5・6

明治25・10
二九二

二九六



二九二

二九六
三六〇

五七
沖電気(株)


〃 田町四の二

〃 月見町二の一
通信機塗料
ラッカー吹付
電気器具
大正6・4

昭和2・11
三九六

三二四
五七

一六二
四二三

四八六
三八一

一〇〇
日本電気(株)


〃 芝浦二の一
〃 三田四国町二
〃 芝浦二の一
電気機械器具


大正15・6
明治33・12
大正13・21
八〇
一、一二九
四一
一二〇
六四三

二〇〇
一、七一七
五〇
一三〇
二、八七六

明昭電機(株)〃 西応寺町五三電気諸機械明治41・10二六〇二七二八七六九
日本光学工業(株)〃 三田豊岡町一三光学機械大正7・2三七二三七八三三九
東京市電気局工場〃 月見町三の一電車修繕〃 11・2四九六一〇五〇六八六二
後藤車体製造(株)芝区芝浦二の一自動車車体昭和4・11二八六二九〇三七
(資)信濃工場〃 〃大正10・11一三六一三八二〇
脇田自動車業(株)〃 〃 二の三同右及び修繕〃 9・10二一〇二一〇五七
岩谷冷蔵(株)〃 月見町二の一冷凍機冷蔵器昭和8・7一〇三一〇四七九
(株)松尾工場麻布区竹谷町二の二四機械大正15・7一〇三一〇四三六
(株)榎本光学レンズ製作所芝区浜松町二の二七光学レンズ〃 5・1九四一〇一
日本エタニットパイプ(株)〃 月見町二の二セメントパイプ昭和8・11一〇〇一〇〇三〇
印刷興業(株)〃 田村町五の九印刷大正3・6一〇〇一〇〇一七
山内印刷所〃 芝浦二の三昭和10・2五五五五一一〇二〇
単式印刷(株)〃 金杉新浜一二製本〃 2・6一〇六八八一九四五一
塩水港製糖(株)〃 月見町二の三精糖〃 9・12一一六一八一三四一、三〇二
今村製菓(株)〃 三田小山町二飴菓子明治41・8一六九五一一一一四
東京瓦斯(株)〃 南浜町一八ガス製造〃 45・5一二七一二七三六〇
東京化粧品倶楽部
洗瓶工場
麻布区霞町一化粧容器加工昭和4・3一六一五三一六九

 

表25 工場の分布
(注) 「五人以上」または「五人未満」とは「職工五人以上の工場」あるいは「職工五人未満の工場」の略称 昭和十三年末現在

区 名工 場 数職     工     数原    動    機生産額(一箇年)
総  数機 関 数実 馬 力
五人
以上
五人
未満
五人
以上
五人
未満
五人
以上
五人
未満
五人
以上
五人
未満
五人
以上
五人
未満
五人
以上
五人
未満
五人
以上
五人
未満

麻布
赤坂
822
198
44
1,185
444
185
26,884
3,999
596
2,542
677
288
23,014
3,226
491
2,507
664
289
3,870
773
105
35
15
1
7,289
618
112
1,276
469
192
55,844
1,299
197
1,733
556
200
184,985,551
17,969,102
3,175,884
5,862,934
1,412,683
542,733

 
 軍需景気にのった昭和十五年(一九四〇)末、すなわち、太平洋戦争の前年の工業をみてみよう。生産額、機械力は画期的な増加を示している。しかし、この軍需景気において、都市消費を背景とした軽工業部門の衰退と軍事目的の重工業の興隆という、一種の断層景気が展開していることは注目されよう。軍需優先の方針に基づき、下請工場の整備、経営の合理化、技術の高度化、製品・規格の統一化、資材・人員の重点配給などの諸施策が強化され軍需生産は増大したが、この発展は民需ないし平和産業の犠牲下になされたものであった。
 

表26の1 昭和15年12月末現在,工場数・職工数・年産額

工場数
 (%)
職工数
 (%)
年産額
  (%)
原 動 機
機関数馬力数

東京市35区計

旧市内15区計

芝 区

麻布区

赤坂区


91,376
(100.0)
43,772
(47.9)
3,151
(3.4)
1,249
(1.4)
671
(0.7)

729,725
(100.0)
214,864
(29.4)
33,581
(4.6)
6,142
(0.8)
2,230
(0.3)
千円
4,593,263
(100.0)
1,124,917
(22.5)
201,961
(4.4)
29,139
(0.6)
9,447
(0.2)

154,664

41,533

9,026

863

218

馬力
1,083,074

189,491

50,441

1,839

379


 

表26の2 昭和15年12月末現在,区別工場数
(各区とも上欄従業員5人以上使用の工場,下欄5人未満使用の工場)

金属機械
器具
化学土石紡織製材
木工
食品印刷
製本
その他
芝 区

麻布区

赤坂区

914
2,237
264
985
71
600
144
277
44
104
2
38
453
437
157
156
18
35
25
41
8
19
1
11
6
26
3
11
2
8
52
453
12
336
20
240
68
418
8
112
6
80
33
44
11
19
6
22
93
194
8
70
10
29
42
347
13
158
6
137