社会福祉施設

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 こうした失業のための要保護者から、さらに一歩進めて、失業浮浪者を救済する事業を行なっていたのが天照園である。その天照園が昭和七年一月、芝高浜町に分園をもうけ、露宿者と朝鮮人の保護収容事業を開始し、やがてこれらの人を満州へ農業移民として送り出したことなどは、記憶さるべきことであろう。
 また、昭和八年には、三井報恩会の寄付金で、市の社会局が芝一泊所を設け、多くのバタ屋を収容、車を備えてバタ屋を営む者のため、一日三銭で車を貸したり、翌九年には屑物処理工場を設けたりして、宿泊無料のうえに生活面で援助する点が大きかった。
【芝園橋職業紹介所】 一方、明治四十四年以来、芝園橋にあって市民に親しまれた市営の芝園橋職業紹介所は、不況下の失業者に随分頼みにされ、その救済に役立つ仕事をしていた。だが昭和十三年七月以来、職業紹介法の改正により職業紹介の事業はすべて国が行なうことで廃止された。しかし、この建物を利用して芝園橋職業補導所が設立された。十三年九月のことで、平和産業が軍事産業に圧迫され、失業した人々に、いろいろの職業を専門的に教育して世に送り出した。
 さらに、十四年三月には芝区芝浦三丁目の電気局車輌工場内の一部に芝浦職業補導所が開設され、離職しても転業不可能な人々やその家族を対象に、製図・簿記・タイプなどの職業指導が行なわれたことは注目されてよい。