深まる総力戦への影

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 二・二六事件後、こうした事件は一応終息したとはいえ、むしろ右旋回の色は一層濃厚になっていった。一方では頽廃的なメロディが多くのサラリーマンや学生、三田の慶応ボーイなどの圧倒的支持で人気を呼び、フランス映画のシックなムードにあこがれる傾向の強かったなかで、戦争の暗い影は次第に市民の生活のうえにしのびよってきた。ベルリン・オリンピックが、この夏に行なわれて大騒ぎをしたが、これが華やかな祭典を喜ぶ市民の最後だったかも知れない。メーデーは十一年三月禁止され、七月には左翼系学者文化人への弾圧がはじまった。十二年には、七月に芦溝橋事件が起こり、八月から上海戦、十一月には日独伊防共協定の締結、十二月には南京陥落と相次いで、戦争はますますエスカレートしていった。
 昭和十三年には、国家総動員法が四月に出て、物資統制が本格化し、九月には興亜奉公日が制定され、食堂・喫茶店などは毎月一日必ず休業するといった戦時体制が強化されていった。
 しかし、こうした間にも十四年一月、区内を通って渋谷から浅草まで地下鉄が全通し、華やいだ気持は市内にあふれ、まだまだ「戦時」という感じはうすく、レビューのうらがなしい流行、カフェーや特殊喫茶店などのおびただしい繁栄のかげに、市民は都会生活の憂うつを、流行歌に、あるいは赤い灯青い灯に求めて、疲れをいやす、いわば生活をエンジョイするゆとりが、まだあったといえる。「地下鉄全通」による新橋駅を中心に銀座へかけての華やいだ賑いには、とくにこの感が深かった。