日米開戦

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 こうして、十六年は日米の交渉で終始し、ついに十二月八日の日米開戦を迎え、もうそれ以後はまったく戦事・非常時の声に圧倒されていった。それでも、十六年末から十七年にかけては、緒戦の華々しい戦果によって、市民はまだ東京の防衛には、かなり楽観ムードにあったことは否定できない。
 それもわずかの間にすぎなかった。徹底した非常時体制がとられ、物資欠乏とともに、市民生活が圧迫され出した。戦局が不利になるに従って、欧州のような大空襲が、当然東京に見舞われることを覚悟しなければならなくなってきた。