町会

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 震災後の東京で、市民生活に次第に大きな役割を果たすようになったものに町会がある。
【町会の起こり】 町内会は明治時代の末ごろから市内に散見されるようになったが、それらは主として町内の親睦団体として組織されたものか、ごみあるいは屎尿処理の清掃問題の悩みを解消するためにできた衛生組合関係の団体ないしは氏子団体から転じたものが多かった。しかし、日清・日露の両役では、出征軍人の家族や傷病兵関係から軍事援護の目的で結成される町会――それも一つの親睦団体ではあったが――が比較的少なくなかった。
 しかし多くの区内の町会は、関東大震災を契機として生まれたといってよく、復興後も夜警の必要などからできていった町会も少なくない。いずれにしても、そうした町内会が「町会」とよばれ、議員選挙などの時の選挙母体となるようになったのは昭和になってのことであり、町会、ことにその町会長は区行政へと次第に結びついていった。
 昭和七年九月現在、芝区に一七六、麻布区に五八、赤坂区に四二の町会があったが、人口が比較的飽和状態で、微増状況の区内にあっても、区の行政だけでは不十分の点もあり、それらの面を補う意味では、社会教育、衛生、保健、土木交通、警防などあらゆる方面に町会が次第に重要な役割を演ずるようになっていった。それでも昭和十年当時においては、まだまだ平和な時代で、その町会の主たる目的も次のようなものであった。
 

事業別町会数(昭和十年九月調)

区 名衛 生夜 警街灯維持祭 事兵 事慶 弔人事相談表 彰其ノ他現在
町会数

麻 布
赤 坂
一五六
五八
四一
一二七
四六
三三
一二四
二七
二三
一二三
五一
四一
一二五
一二
三九
一四七
五六
三九
五一


八六

三九

五八
四三
一七八
五九
四三

 
 これが昭和七年の上海事件以来、次第に兵事を重要事項とし、出征軍人およびその留守宅などの慰問をするといったことが多くなり、やがて軍事援護の面で町会が大きな役割を演ずるようになっていった。