町会数 | (昭和十七年四月一日現在) |
区 名 | 町 会 | 隣 組 | 町会会員 | 一町会当たり (平均) | 一隣組 当たり 会員数 | 人 口 (昭和十五年 国勢調査) | |
隣組数 | 会員数 | ||||||
芝 麻 布 赤 坂 | 一一一 五〇 三七 | 三〇四二 一四七一 九九七 | 三九二七七 一九九四二 一一三三八 | 二七 二九 二七 | 三五四 三九〇 三六〇 | 一三 一四 一一 | 一九一、四四五 八九、一六三 五五、七〇四 |
しかし十六年十二月、日米開戦以降、政府の町会隣組の利用は、国家総力戦の一翼をになうものとして市民に徹底し、防空・防火の二つを中心に、生活物資の配給、強制貯金、供出等々すべて町会・隣組に依存する状況になっていった。
また、来たるべき空襲に備えての防空・防火にたいして、防火群がさらに組織され、隣保体制は戦時下における銃後をまもる重要機関になった。
こうして町会・隣組制度が、国をあげての戦争に「かくべからざる」組織となるとともに、重大な戦況に対処するため、一層の統一ある組織に編成替えをする必要が出てきた。そこで、十八年五月から順次町会の組織変改が行なわれ、上意下達の下部機関として、自治体の行政的任務の一部をも遂行することになった。
戦争が次第に苛烈な方向に進展してゆくにつれて、十八年五月決戦体制にそうため町会の一大改編が行なわれ、一町会を四〇〇~六〇〇ぐらいの単位の世帯にわけ、一町会一〇〇〇~一五〇〇世帯もある町会を、二または三町会として細分・強化していった。いわば、上意下達の迅速化をはかり、町会内の法人・工場・学校までも町会員とし、主として消費生活のための配給、貯蓄・納税、軍事援護の強化をねらったものであった。そして、町会は八部門に分かたれ、町会長の任期を二年とし、町会長の責任を重くした。この大改革により十八年五月以降の町会は、まったく戦時体制に切り替わったといえる。町会の事務所はやがて区役所の出張所的なものから、本格的に区の出張所の形になっていった所もあった。