防護団

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 大震災後、非常変災の場合、市民防護のため団体の結成の必要から、昭和五年九月東京非常変災要務規約がつくられ、これをもとに旧一五区の防護団の創設を図り、九月一日東京市連合防護団発団式が行なわれた。十月一日大東京の実現で二〇区にも防護団がつくられ、昭和八年八月空襲に対処する関東防空大演習に参加、十年六月には、東京港水上防護団も編成された。とくに午報用の五基のサイレンのほかに二〇基のサイレンを設置して、警報を強化した。
 日中事変が勃発すると、防空・防火に従事する機構は防護団だけでよいか、消防組はどうするかという問題が起き、戦線の拡大、戦争の長期化につれて、この両団体を一つにした新たな団体を結成、東京の防空・防火活動に支障なきようにすべきだとの声が強くなり、ついに昭和十二年の防空法から十四年一月の警防団令の制定となり、警防団が結成され、四月一日から東京の空の護りは市民の警防団の手に委ねられることになった。