戦時下の市民生活のうえで、注目すべきは警防団である。
昭和十二年十月、国際情勢の逼迫により防空が緊要な問題となり、防空法とその付属法令が施行されたが、主として防空に従事する団体である防護団などについては、何の規定するところもなかった。
そこで、この団体の統制強化を図ることが重要となり、十四年一月二十四日警防団令が公布され、四月一日から施行となった。これは従来の防護団と消防組を改組して一元化したもので、警察署の管轄区域によることにした。そして、八〇警防団(水上警防団一)で東京の空を守ることになり、区内にも各警察署を単位とする警防団(一部は東京港の水上警防団)が結成された。
従来の防護団は警防団結成で解団となり、一例をあげると、芝区防護団の解団式は、十四年五月九日芝区公会堂に五〇〇名参列のもとに行なわれた。
警防団は一つの警防団に、地域によって数分団を設け、その下に業務別に部を設けて、さらにいくつかの班に分かたれる。分団は一万から三万人を標準に、一町会または数町会をもって一区域とするもので、警護部、灯火管制部、交通整理部、消防部、防毒部、救護部、工作配給部の各部があった。
各部の人員は人口一万に消防部だけは八〇名とし、他は二~三〇名程度であった。
こうして市民防空の中心となって、軍官民一体の防空態勢は次第に整備されていった。