勤労動員

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 十七年三月には、女子生徒から家庭の主婦の一部まで軍需工場へ動員され、各学校に対しても十八年五月からは勤労動員令が公布施行された。大学生から中学生に至るまで、軍需工場にかり出され、文字どおり学業をなげうって「銃後報国」の名のもとに働くことになった。
 時局の重大化とともに、都も区も、多くの市民の応召や戦死などの処理で軍事援護の事業も多忙になっていった。