学徒出陣

647 ~ 647 / 1465ページ
 学徒出陣、それは多くの若い大学生にとって、恐らく東京をみる最後という感を抱かずにはおられなかったかも知れない。いまここに慶応大学の壮行会の模様を描いてみよう。
 
  やがて入営入団の日が近づいたので、塾では十一月二十日、大講堂で戦没塾員慰霊祭を営み、二十二日には稲荷山の下に臨時に設けた大会場で、壮行会を行った。式が済んでから、塾生等は大講堂の前の広場に、送る者と送られる者と相対して整列し、塾の様々の歌を歌い、また、肩を組み、前後左右に浪のように揺れ動きつつ、対校試合に勝った時の歓喜を歌う歌を合唱した。それが終って、塾生は四列縦隊を作って坂を降りて行った。私は教職員の人々と共に正門の傍でそれを見送った。門を出た塾生等は、三田通り、寺町、白金台町と行進して福沢先生の墓参をした。私は門で最後の塾生を見送ってから更に自動車で行進の跡を追い、大崎の常光寺の先生の墓の前で再び多くの塾生と会って別れの挨拶をした。それを終えて午過ぎ塾へ還って来た。数時間前の熱情的な光景に引きかえ、校庭は空しく広く、人影は疎らであった。墓参を終えた学生の中には、名残りを惜しんで、また山の上に帰って来たものもある。今別れて来た許りのその学生等に会うことが、遠い旅から帰って来た人々と再会したように懐かしく思われた。
          (もと東宮職参与 小泉信三『海軍主計大尉小泉信吉』昭和四十一年刊より)
 
 空しかったのは、恐らく小泉さんばかりではなかったろう。こうして、いさましく送られた学徒のうち、果たして幾人が再び東京の土をふみ得たろうか。