廃墟のなかの小学校にもかかわらず、子どもたちは、やがて疎開から帰ってきた子どもたちとも手をとりあいながら、飢えとさまざまな教育の変革のなかで、それでも元気に勉強に向かい育っていった。
その子どもたちにとって、冬、なによりも不安とされたのは、教室の窓硝子のないことであった。
【校舎の荒廃】 戦後、もっとも力を入れて復興してきた校舎ではあったが、昭和二十二年冬にいたるも、いまだ次のような状態であった。
区内各小学校の冬期対策として硝子を申請中の処、所要量の約半量入荷したので早速篏込みに着手し、大体外廻りだけは一応完了したおかげで、児童も寒風から守られて暖かく学業にいそしむことができるようになった。
(『港区政ニュース』昭和二十二年十二月二日号)
【子ども会の結成へ】 にもかかわらず、子どもたちは、学校でそしてそれぞれの地域で「子ども会」などを結成し、この年十二月には、区内の「子ども会」連合会を結成させるなどしながら、自らその快活さを見出していったのである。
この年、十一月十六日に、都立芝商業学校校庭で、一〇〇〇人の生徒が参加して行なわれた第一回区内新制中学校秋季大運動会も、その健やかさを示すものであった。
【遊びも国際化「バドミントン大会」】 そして、翌二十三年五月二十四日には、麻布小学校で、港区新年羽根突き大会を催したり、バドミントン大会を開いたりして、廃墟のなかからそのゆとりを取りもどしていった。それはまた、外国公館の多い港区ならではの風景であったともいえよう。
港区では今回左記により第一回バドミントン大会を挙行、広く一般区民各位の御参加を期待している。
『バドミントン』とは、西洋の羽根突きであり、スポーツとしての要件を充分に備え、運動の点からも興味の点からも申分のないゲームである。しかもテニスよりもっと簡単に出来、経費も余りかからない。何よりも良いことは場所を選ばず老幼男女を問わず出来ることであり、家族団欒(だんらん)の中に楽しむことの出来るスポーツである。特にバドミントンは国際的スポーツで英米はもとより各国に普及し、殊に南方諸国では非常に盛んである。(当日は初心者を特に指導する。)
一 実施期日 二月十五日(日)午前十時より午後五時まで
一 場所 新橋三の一六 桜田小学校講堂
一 参加資格者 港区内居住者および勤務者 一三歳以上六〇歳までの男女
一 申込場所 港区役所文化課 (『港区政ニュース』昭和二十三年二月一日号)
【第一回「港区子供大会」】 また、夏には、港区子供会や緑陰子供大会などが開かれ、年々盛大さを増しながら、すくすくと成長していった。その第一回のプログラムは次のようなものであった。
港区役所においては、緑陰子供会期間中の最後の行事として、港区子供芸能大会を計画し、各子供会よりの参加申込を募集中であったが、申込も揃ったので、去る九月五日(日曜日)午後一時より芝御成門、中央労働会館講堂において第一回「港区子供大会」を開催したところ、七百名余りの児童、父兄の参加を得て盛会であった。
なお、当日の主なるプログラムは左の通りであった。
児童劇「こっくり様とじょんじょ」 芝・本芝親友会少年部
同 「欠けた茶わん」 芝・増上寺日曜学校児童劇部
同 「ある日の森の中」 麻布・少年青葉会文化クラブ
同 「月と兎」 麻布・ひよこ子供会
同 「床屋の金坊」 赤坂・青雲会子供部 (『港区政ニュース』昭和二十三年九月十日号)
【紙芝居・映画の貸出し・巡回文庫】 一方、いわゆる視聴覚教育の一環としての文化活動が、区の文化課を中心に展開されていった。昭和二十三年からはじめられた「紙芝居」の貸出しや、二十四年春からの「ナトコ映画」の巡回および貸出しやさらに児童巡回文庫の開設などがそれであった。
敗戦と廃墟のなかで、子どもたちは、どんな本を望み、どんな本を読んだであろうか。次の「紙芝居」や児童図書の貸出し目録は、そのころの少年たちの精神風景を伝えてくれるといえよう。
「紙芝居」貸出し目録
1 てるてる坊主 (初・中級)玉井直文作
2 弥三郎とお地蔵さん(中・上級)久米正雄作
3 兎と虎とゴム鉄砲 (初・中級)川崎大治作
4 月と兎 (中・上級)青野季吉作
5 巌窟王 (中・上級)ジューマー原作 椿達彦脚色
6 宝島 (中・上級)スチーブンソン原作 椿達彦脚色
7 母いずこ (中・上級)森眉根雄作
8 楽しい門出 (初・中級)日本教育画提供
9 アラジンのランプ (初・中級)「アラビヤンナイトより」塚本長蔵脚色
10 ヴェニスの商人 (中・上級)シェイクスピア作
11 赤い蠟燭と人魚 (中・上級)小川未明作
12 春の動物園 (初・中級)伊賀山昌三作
13 ダムと道路 (中・上級)青木緑園作
14 お猿村の猿医者 (初・中級)伊賀昌三作
15 良夫のグローブ (中・上級)大蔵省作
16 少年野口英世 (中・上級)星野澄雄作 (『港区政ニュース』昭和二十三年十二月十日号)
【子供たちの人気作品】 また、昭和二十四年五月、「子どもの日」の制定記念として一週間開設した「児童図書室」に、延ベ一、七二〇名、一日平均二八六名の児童が足を向けて閲覧し、夢中になって、次のような図書を読んだのだった。
図書の種類別による貸出回数は『フクチャンマンガ』が五〇回以上で筆頭を占め、四〇回以上が『わんぱく小僧(漫画式絵物語)』、三〇回以上『漫画良寛さま』『冒険ターザン(漫画)』『そろり珍左エ門(漫画)』、二〇回以上『土舟馬太エ門(漫画)』『ふしぎな国のブッチャー(高学年向漫画)』『三百六十五日の珍旅行(漫画)』『赤のツボ、青のツボ(漫画)』、以下一〇回以上が主として冒険、講談、時代劇、長編物語等一四種類、五回以上二三種類、一回以上五四種類となっている。 (『港区政ニュース昭和二十四年六月一日号』)
【学校給食の実施】 そして戦後義務教育史に初登場し定着した「学校給食」も、昭和二十五年九月十一日から実施されて、子どもたちの飢えを満たしていったのである。
アメリカ寄贈の小麦配給によって八大都市の学童はこの九月新学期を迎え、一週五回の完全給食を受けることになったが、当局においても関係各方面の熱心な努力によって早くから準備がすすめられ、九月十一日の第二日曜から区内小・中学校生徒二四、二六〇名に一斉に給食が実施された。
一回の給食基準量は、小麦粉百瓦に砂糖、バタ等を加味して一四二瓦、三七〇カロリーのコッペパン一個、これにミルク、副食物等を添えて六百カロリーとし、蛋白質始め一食に必要な栄養分はたっぷり含まれることになっている。また、原則としてはパン給食となっているが時には教育長の認可により麵類の配給を受けることも出来、副食物にもいろいろと変化をもたせて児童が喜んで食事出来るように研究が進められている。
なお、費用は一人一食当たり七円見当、一ヶ月約百五十円が本決りとなった。 (『港区政ニュース』昭和二十五年九月二十五日号)