【音楽で心のゆとりを】 昭和二十九年春、いまだ十分に満たされた生活とはならなかった当時ではあったが、それでも少しずつ心のゆとりを取りもどそうとする区民の感情が湧き上がっていった。このころから一時さかんになる「音楽の夕べ」は、そうした区民の感情を映し出すものであった。
早春の宵のひととき、良い音楽を聴く喜びを味わい、静かな想いによって明日の生活を意義あらしめるため、十八、十九の両日レコードコンサートの夕べを次のように開催いたします。
主催は港区教育委員会、時間は午後六時から二時間で区民の皆様の多数御参加をお待ちしております。場所および曲目は次の通りです。
十八日 氷川図書館
曲目 作曲者 演奏者
愛の夢 リスト クロイツアー
コッペリア ドリーブ ロンドン・フイル・ハアモニー
蝶々夫人(愛の二重劇) プッチーニ
交響曲第一番 ブラームス アムステルダム・コンセルトヘボー 交響楽団
ラコッチ行進曲 リスト ソロモン
十九日 麻布図書館
グラナダの夜 ドビッシー ギーゼキング
ハンガリー狂詩曲二番 リスト フリードマン
椿姫(乾杯の歌) ヴェルディ
ペトルーシカ ストラヴィンスキー スイス・ロマンド交響楽団
ツイゴイネルワイゼン サラサーテ アイザック・スターン
(『港区政ニュース』昭和二十九年二月十日号)
【お母さんたちもコーラスを】 そして、その秋には、そうした職場や地域の音楽サークルのまさに〝合唱〟としての「第一回港区音楽会」が芝公会堂で賑やかに開かれたのだった。
さらにその〝歌声〟は、お母さんたちをも巻き込み、広がっていったのであった。その楽しい風景を広報紙は、次のように紹介している。
毎週水曜日の午後、麻布小学校二階の音楽室から、お母さんたちのコーラスが風に乗って流れる。
これは麻布小PTAの文化部のお母さん方が親睦の意味で始めたもの、初練習は二十九年四月だからもう二年以上つづいている。忙しい家事の合い間を縫って集まるお母さんは、三十代から四十代の方々三十人、小学唱歌や民謡から始めて、今では、〝流浪の民〟や〝別離の歌〟なども立派に歌いこなせるようになった。今年の「港区母のつどい」には全員麻布公会堂に出演して好評を博したという。
指導に当たっていられる千種先生は秋ごろには他の学校にも呼びかけて、合同発表会のようなものを開きたいと仰しゃっていたが、〝歌いましょう、楽しく〟と輪唱をやっているお母さん方の頰は、歌う喜びに紅潮して若々しく、とても楽しそうだった。 (『港区政ニュース』昭和三十一年六月四日号)