街やそこに住む人びとが、ともあれ敗戦直後の混乱や飢えから脱出し、少しずつ活気を取りもどしていったころ、少年たちもさまざまなはじめての教育体験に出会いながら、まずは健康に成長していったのだった。そのひとつ、はじめての試みとして心配された「男女共学」も、少年・少女たちにとっては、よりよい制度として受けとめられ、なじまれていった。
【「男女共学」論議】 昭和二十七年三月三日に開かれた「男女共学」をめぐる中学生たちの座談会の模様は、そのことをよく示していた。
桃の節句を中心とする青少年指導週間の行事の一つとして、去る三月三日、午後一時半から港区役所協議会室において港区青少年問題協議会、港区役所、愛宕警察署、愛宕少年補導母の会、愛宕防犯自治会の共催で区立の愛宕、芝浜、北芝の三中学校並びに芝、正則の中学校生徒代表を囲んで座談会が開催された。当日の出席者は各校代表の男生徒二十名、女生徒九名に、主催団体の長をはじめ、区議会文化常任委員、母の会役員等約五十名、港区青少年問題協議会長である中西区長、渡辺愛宕警察署長、山田母の会長、塩坂防犯自治会長よりそれぞれ挨拶があって後、筧文化課長の司会で議題を「男女共学について」と、「青少年不良化防止について成人に何を望むか」にとり、生徒達に発言を求めたところ、男生徒も女生徒も活発に自分の意見を述べ、区長をはじめ出席の各位から熱心な応答があったが、少年達の純真な批判に大人達も爆笑したり、苦笑したり、和やかなうちにも終始向上の気があふれた座談会であった。論題となった男女共学については、共学の生徒達は男女生ともこれを是としており、理由としては異性を見る眼が養われて将来の間違いが少なくなる、珍しくなくなる。両性の協力や理解ができる。良い意味の競争心が起こり殊に女子の勉学心が励まされる等の点が挙げられ、男女共学を風紀の点で悪いと大人が見ているが、ほんの一部をもって全体を誤解しないでほしいという声があった。これに対し母の側として山田会長より今迄の窮屈な男女交際の時代に育てられた大人達は中々新時代にそいにくい点がある。親が一番心配するのは風紀の点であって皆が責任ある行動をしてくれれば大人達も理解してくれるであろうし、また大人達も男女の交際をきれいに解釈して行きたいと思う答弁があった。共学制でない芝中の生徒からは男女共学は社会教育の点から見れば大変良いと思うが学問研究という立場から見れば共学でない方が勉強しやすいのではないかという発言もあった。また女子から何か男女交際についての規則や礼儀のようなものを学校で教えて貰いたいという声もあった。(『港区政ニュース』昭和二十七年三月十日号)
その男女共学の教育制度のなかで、戦後生まれの児童や少年・少女たちが年ごとに溢れていったのもこのころであった。昭和二十九年四月に入学した小学生の数は、そのピークを示していた。
昭和二十二年は戦後最高の出生率を示しているので、昭和二十九年度の新入児童(二十二年四月二日より二十三年四月一日までの出生児童)は、相当数ふえるものと予想されていましたが、昨年十二月一日現在での就学児童調査によれば、区内の新入学予定児童数は六、〇一八名、去年の四、三八三名にくらべると、一、六三五名と約四割の増加となっています。この新入学児童の急激な増加は全国的なものですが、殊に戦災校の復旧や、六三制整備途上の都の各区にとっては、大きな悩みとなっています。
折角解消した二部授業を復活したり、講堂や廊下などを改造して応急教室をつくる区もある始末、港区でも、現在のところ二部授業は避けられる見込ですが、二十八年度分の増築計画である六十一教室の完成を急ぐ一方、特別教室を普通教室に充当するなど。目下その収容対策に教育委員会は頭を痛めています。(『港区政ニュース』昭和二十九年一月二十五日号)
【戦後の子供の命名の傾向】 その子どもたちに、戦後の親はどんな「名前」をつけていったであろうか。昭和二十八年度中に生まれた出生児の名前を調べた区役所戸籍係のデータは、このころの親のわが子に託す願いを示してくれるものといえよう。
当用漢字制定以来、赤ちゃんの名前をつけるのに適当な字がないと両親は苦労しましたが、昭和二十六年に九十二字の人名用漢字の使用が許されたので、大分楽になりました。
このほど区役所戸籍課で昨年一年間の出生児一、九九四人について、名前にどんな字が一番多く使われているかということを調査しました。その結果は、一般に正之、義博、洋子、久枝などのように二字の字が多く、男子の一字名、女子の三字名はそれぞれ五件に一件位の割で、また女子の一字名はほとんど見られませんでした。また、かな文字はこの一、九九四人中女子に十名、男子に三名あっただけで、やはりまだ漢字の持っている意味によって命名する方が多いことがはっきりしました。
一般に男子の方が使われている文字の範囲が広く、字画も多いのに、女子には平明な感じのものが多く選ばれています。
一番多く使われている字は男の子では、一、これは一郎、一夫、一彦や、正一、俊一など上下に字を添えて使われるので一一七件もあり、夫、雄、郎に次いでは正、明、秀が多く、親が男の子に望んでいるのは明朗で正義感に強く、衆に秀でて貰いたいということなのでしょうか。
女の子は殆どが子の字をつけているので子が七一三件、次は美しく恵みあれという親心をうつしてか美が一三八件、恵が八四件と、次の和の三一件をぐんと引きはなして多くつかわれていました。何れにしても男女別によく使われている字は次のようなものです。
男子
一、夫、雄、郎、正、男、明、和、彦、秀、美、之、隆、弘、康、義、博、茂、裕、俊、敏、孝
女子
子、美、恵、代、和、枝、由、直、江、智、幸、知、陽、久、紀、洋 (『港区政ニュース』昭和二十九年二月二十七日号)
【若者の自画像】 〝正しく、明るく、秀いでて〟成長して欲しいと男の子には願い、女の子には〝美しく、恵みあれ〟と祈って、多くの親は、そうした名を付けたのだった。その子らは、のちにどのように育っていったのであろうか。当時すでに二十(はたち)の成人式を迎えた青年たちは、そのころの己れを次のようにみつめていたのである。昭和二十九年一月十五日、第六回目を迎えた「成人の日」の記念祝賀式で、その代表の一人の青年は、〝若さ〟について次のように考えるのだった。
若さ 水上地区代表 石田 司郎
〝若さ〟の価値はどこにあるのでしょう。改めてここで難かしい哲学を論じようというのではありません。ただ現在の僕らを取り巻くすべての状勢が〝若さ〟というものを再考させるように思えるからです。
〝すばらしい社会〟〝美しい恋愛〟〝新しい人間像〟……。若さはこのような明日を夢見て行動するところにあるのではないでしょうか。
けれどもいわゆるおとな達は、いまどきの若いものは理屈が多いとか、無軌道だとか、無謀だとか、アプレゲールの代名詞と共に、僕らわかものの行動を非難します。そして「君らはまだ若い、年を取ればわかるさ」などとセリフを吐く、悟り顔をしたおとな達を見るとき僕は淋しくなります。
なぜなら、おとな達からそう非難されるわかものの行動の中にこそ、最も大事な〝若さ〟の本質がひそんでいるからです。
わかものが明日を夢見て、明日のために行動するのを現在の立場から見れば、確かに無軌道にも無謀にも見えるでしょう。
然し人間が生きるのは、社会の発展と、人間の幸福のためだとしたら、その原動力は若さの中にこそあるのです。
現在の社会状勢は明日のためのものではありません。今日の事しか考えていません。そして昨日に向ってさえ行きます(逆コースということ)。その渦の中にあって、わかものこそが常に明日を見つめ、渦の方向を明日に向けるものなのです。勿論昨日とは悪い意味での古さであり、今日とは停滞であるということを意味します。だから明日を夢見て明日のために行動する〝若さ〟とは、何も年齢的な区別ではないはずです。
ちなみにお尻の青い青年の中にさえ、今日を生きるのに懸命な、すでにおとなもいますし、腰の曲がった老人の中にさえ明日を夢見るわかものもいるではありませんか。青年が今日を生きるだけだとしたら、若ものの価値とよろこびは消え失せてしまうでしょう。
瞳をキラキラと輝かせ、ガムシャラにでも何でも、明日のために行動している中に、青春の血の躍動があり、永遠の若さが存在するのです。僕はあえてこのような独断的な〝若さ〟の定義をくだしました。が、それは現代に生きる青年の間の雰囲気がだんだんに若さを失わせて行くように感じるからです。
それは社会の全般的風潮です。現代を〝第二の暗い谷間〟と表現する人もあります。だからなおのこと、暗い谷間の中で僕らが、常に〝若さ〟を保ちつづけることが若ものに課せられた義務だと言えるのではないでしょうか。成人の日を迎えて僕らは社会的な成人になりました。けれども「君らはまだ若い、年をとればわかるさ」と悟り顔のおとなになったのではないのです。明るい笑顔と、健康な歌声で、明日のために今日を生きるおとなに僕らはなったのです。 (『港区政ニュース』昭和二十九年一月二十五日号)