(四) 生活を守る闘い

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【黄変米問題】 昭和二十九年夏、配給米に、「黄変米」という外米が混入されるというニュースに、街の人びとは不安の色を示していった。
 外食などですでに使われ、その一種異様な匂いとまずさとそのうえ有害であると噂されていたものだけに、区民は一斉に反対の声をあげていった。その声を吸いあげて、区議会も、八月四日、関係省庁に、「黄変米の配給に関する意見書」を提出することを決議し、提出したのだった。
 
     黄変米配給に関する意見書
   政府においては外米配給にあたり、黄変米を混入して八月より実施される由である。この処置は慎重な考慮と研究の結果決定されたものであると思われるが、他面専門学者の間においても、黄変米の有毒有害はくつがえすことのできぬ事実であって、これを少量用いても保健衛生上悪影響なしという政府の見解に、区民は甚だ大きな不安と恐怖を感じている。これを看過することはできない。
   もとより米穀の需給上並びに国家財政上の影響は、これを考慮すべきものであるが、こと人命に関することであるから、実施にあたっては、あくまで慎重を期せられると共に、黄変米を一般消費者配給の枠から除外し、根本的対策として今後の外米の買付方法の早期改善を行い、配給米に対する区民の不安を起さぬよう、特段の措置を講ぜられたい。
   右地方自治法第九十九条第二項の規定により、意見書を提出する。
    昭和二十九年八月三日            東京都港区議会議長  鈴木 正夫
 
 一方、同じ夏に、いまひとつ生活を守る闘いが展開されていった。
 三月一日に、ビキニ環礁で行なわれたアメリカ政府による原水爆の実験による日本国民への加害にたいする抗議と不安の渦の全国的広がりは、港区においても、いや総評をはじめとする全国労働組合本部のメッカともいわれるほどに多数集中存在している港区において、その渦とエネルギーはより強いものとして燃え上がっていった。
 まず、区議会が、八月三日に、次のような決議をした。
 
     決議
  一 原水爆及びその他の原子力兵器の製造使用実験の禁止
  一 原水爆及びその他原子力兵器の厳正な国際管理
  一 原子力の平和的利用
  一 損害保償の完全な実施
    昭和二十九年八月三日                      東京都港区議会
 
【大きく盛りあがった原水爆禁止運動】 そして、九月十一日には、区議会議員をはじめ、区内の婦人会、青年会、町内自治会、労働組合、その他多種団体の代表三〇〇名が集まって「原水爆兵器禁止署名運動港区協議会」の結成が行なわれた。広報紙は、当日の模様を次のように報じている。
 
   式は川原総務常任副委員長の司会により、中西区長らの挨拶、佐野総務常任委員長の経過報告の後、座長として区議会港クラブ幹事長勝又氏を選出して、会の規約並びに署名運動実施要領の審議に入り、熱心な質疑応答が二時間近くくり返された後にこれを可決、ついで会長として鈴木区議会議長を、副会長に丸山区議会副議長、佐野総務常任委員長、村上都議会議員を選出、その他の役員並びに実行委員六百名を各団体から出すことを決定、九月十一日から九月三十日までこの実行委員によって地域内区民の署名、職場関係者の署名、また新橋、品川、浜松町、田町の各駅頭、十番、青山一丁目附近において街頭署名を求めることなど、この運動実施の具体的方法について打合せを行いました。終って原水爆署名運動全国協議会事務局長(法大教授)安井郁氏から、本区の運動開始に対して激励の祝辞と、全国署名運動の概況について報告があり、引きつづき立教大学教授武谷三男氏から、原水爆兵器の世界にもたらす惨害についての講演を拝聴し午後五時半目的達成の意志をますます固くして散会しました。
 (『港区政ニュース』昭和二十九年九月二十五日号)
 
 ここでのこの決議に従って、九月二十七日、婦人会、青年会の人びとを中心に、新橋駅東口および西口、田町駅西口、浜松町駅付近、品川駅西口、麻布十番街、青山一丁目交差点付近で、一斉に街頭署名運動が展開された。それは、港区において、おそらくはじめてといわれるほどの区内一円の運動であったという。
 そして、昭和三十三年には、今度は市街の景観と健康のための緑地を破壊から守ろうという区民運動が展開されたのであった。
【芝公園の緑地を守る動き】 芝公園内にある旧徳川家私用墓地約三万坪を西武鉄道が買収し、大観光ホテルを建設しようとして、その整地工事が進められたのを知った区議会は、まず都知事に、その中止を申し入れた。
 一方、区議会だけではなく、区役所、各町会、婦人会、PTAなどを一丸とした「芝公園緑地保存期成同盟」を一月三十一日に結成し、西武に、そして都知事、都議会に、さらに文部大臣に、工事の中止とホテル建設反対の申し入れを再三にわたって行なっていった。そして三月六日には、さらにこの反対運動を強力なものとするために、「芝公園緑地保存区民大会」を開き、区総ぐるみのものとして展開していった。これが効を奏してか、それ以後、一応工事は中止され、やがて六月には、東京都からの斡旋案が提出され、そして区民の意思は貫かれ守られていったのであった。広報紙が伝えているその経過と条件とは、次のようなものであった。
 
   都の工事中止命令にも、同盟の再三の申し入れにも応じなかった西武側も、三月六日芝公会堂で行われた区民大会以後は、工事を中止して、事態を収拾しようという態度になってきました。
   同盟ではその後も、東京都ならびに都議会、また建設省に交渉をつづけながら、区民の意志を結集するために署名運動を実施しました。
   五月末日にこれをまとめたところ、二万九千五百二十七名の署名が集まったので、同盟の幹部十四人が六月四日、これを都知事ならびに都議会議長に手渡して、都の善処方を強く要請しました。
   ところが六月中旬になって、東京都から「三月以来、五十数回にわたって西武側と折衝を重ねていたが、次の条件で妥結をしたいと思うが、これに対する同盟側の意見はどうだろうか」と回答を求められました。その条件とは
 
   ① 都は弁天池周辺の五千坪を、都市計画事業公園用地として、事業決定をする。
   ② 右の五千坪のうち、取あえず三千坪を都が西武から買収する。(価格は、土地評価委員会の評価に
    よる)
   ③ 西武が築いた石垣は、西武の責任で撤去する。
   ④ 西武の観光ホテル建設申請があった場合は、計画をみて都が検討する。
   ⑤ 都が買収する五千坪と西武の土地との境界は、風致を害さないように都の監督を受ける。
 
   以上の五項目を示して意見を求められたので、六月二十四日、区役所において、同盟の実行委員会を開催し、次の結論に到達した。
 
   ① 都の案は、充分満足すべき状態ではないが、同盟の意向が多分に取り入れられているので、一応こ
    の線を承認する。
   ② 同盟は今後の西武の実施を監視し、その誠実な履行を要求する。
   ③ 同盟は、都に対し、買収地域の公園としての復元について、早期実現と、完全なる施設を要求する。
   ④ 本同盟は、今後も以上の点が確実に実施されるように監視し、なお、必要に応じて活動を行なう。
   以上のように決定して、即日都知事に回答しました。
   これによって、都と西武の間に正式に調印がなされ、六月二十七日都議会において、建設局長が右の報告をなし、都議会もまたこれを了承しました。
   実に本年一月、同盟が発足して以来、六ヵ月の長期にわたって続行された芝公園緑地保存問題も、これで一応の結着をみたわけであります。 (『港区政ニュース』昭和三十三年七月二十一日号)

芝公園緑地保存区民大会