(一) 戦前

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 東京に残っていた江戸の名残りを完全に一掃したのは、大正十二年(一九二三)の関東大震災であったが、この震災前後の人口の動きをみてみよう。
【震災前後の人口 郊外地人口の動態】 まず、表1によれば港区(当時は芝・麻布・赤坂の三区が該当する)地域人口の東京市人口にたいする割合は、大正九年が一五・二%、震災後の同十四年は微増(実数においては減少している)して一六・〇%となっている。ここで注目すべきことは、震災後、港区地域を含む東京市部の人口が一七万七、六三四人減少しているのにたいし、逆に市外部においては、その約五・三倍にあたる九二万八、五六一人も増加している事実である。
 東京の都市改造は、震災からの復興をめざして大々的に進められていたが、市部から江戸の名残りが消えていくにつれて、郊外に住居を移す人びとが増したということなのであろう。
 太平洋戦争の前後についても同様に顕著な移動現象がみられ、災害のたびに東京の人口は都心部を離れて郊外地で増加する傾向に拍車をかけたことになる。
 

表1 関東大震災前後の東京市および港区地域の人口推移

国勢調査(10月1日現在)東京市人囗(人)港区地域人口(人)
大正9年(1920年)
大正14年(1925年)
2,173,201
1,995,567
330,004
320,541
15.2%
16.0%